ダブリンとロンドンのコンサベーション・スタジオへの訪問レポート
福島 希 2008/09/08
この7月から8月にかけて、弊社スタッフ2名はダブリンとロンドンにある複数の図書館や美術館のコンサベーション・スタジオを訪問した。書物や文書、紙媒体の作品を対象としたコンサベーションを行っている海外の工房では、どのような体制の元に、どのような資料をどのように手当てしているのかを体感してくること、これが今回の訪問の目的である。訪問したのは以下の4つの機関である。
・チェスター・ビーティ・ライブラリー Chester Beatty Library <ダブリン>
・ダブリン・トリニティ・カレッジ・ライブラリー Trinity College LibraryDublin <ダブリン>
・アイルランド・ナショナル・ライブラリー National Library of Ireland <ダブリン>
・ブリティッシュ・ライブラリー・センター・フォア・コンサベーション
British Library Centre for Conservation <ロンドン>
国立から私立まで多様で、また施設やコンサベーション部門の規模も様々だが、いずれも現在の紙媒体を対象にした最も優れたコンサベーションを実践しているところである。どの機関でもコンサバターの方々に館内の案内や、担当資料についての丁寧な処置説明を伺うことができた。以下に、各機関の簡単な概要と、私どもの視点から特に印象が深かった事柄を記して報告に代えたい。
1.チェスター・ビーティ・ライブラリー <ダブリン>
ダブリン市内の中心部に位置するダブリン城裏のクロック・タワー・ビル内にあり、アルフレッド・チェスター・ビーティ卿によって収集された西欧の貴重な書物や、コーランの写本、細密画などのコレクションで知られている。日本の木版画や工芸品のコレクションでも有名なところであり、その範囲は非常に多岐にわたる。2000年にはアイリッシュ・ミュージアム・オブ・ジ・イヤー、2002年にはザ・タイトル・ヨーロピアン・ミュージアム・オブ・ジ・イヤーを受賞している。
コンサベーション部門は現在、マネージャーであるジェシカ・ボールドウィン Jessica Baldwinさんのほか、スタッフ2名(ペーパーコンサバター、ブック・コンサバターが各1名ずつ)で仕事をしている。コンサベーション・スタジオも、これに併設された保存容器を製作する部屋もそれほど広くはないが、各人のスペースが充分に確保され、整然と仕事が進められている雰囲気だった。

ここでは、イスラム製本と一枚もののコンサベーションについて伺った。イスラム製本については、弊社はごく最近、数十冊ほどをまとめて手掛ける機会を得た。その際に海外の事例や、製本、紙、色材について多くを学んだこともあって、説明を聞いていても理解できないことはなかった。また、こちらから持参したドキュメンテーションも熱心に見てくれて、私どもへ質問して下さった。処置では特に、銅を含んだ顔料による線(copper line)の特有の劣化を、必要最小限の水分を含ませた和紙で修補する処置方法が非常に興味深く、参考になった。

2. ダブリン・トリニティ・カレッジ・ライブラリー <ダブリン>
ダブリンの中心部に設けられたアイルランド最古の大学内の図書館である。規模も国内最大であり、パピルスや「ケルズの書」の所蔵で有名である。なかでも、ロング・ルームと呼ばれる部屋は最も古い書物を約20万冊収納しているが、全長が約65mもあり、世界でも類を見ない美麗な書庫として有名である。
コンサベーション・スタジオは2つのフロアに分かれており、下の階には事務作業を行うスペースや撮影室、上の階が実際のコンサベーション業務を行うスペースとなっている。いずれの部屋も開放的な空間であり、ここでも各人の作業スペースが充分に確保されていた。一枚ものを主に担当されているラウラ・カラドナ Laura Caradonnaさん他の方々に話を伺った。

3種類の資料について説明を受けた。洋装本の処置、羊皮紙(パーチメント)の処置とマッティング、没食子インクの処置についてである。とりわけ興味深かったのは、羊皮紙の資料のマッティング方法である。革や皮が本を構成する素材として身近なものであるせいか、資料を固定するのにも、こうした素材を使用していたが、仕上がりも機能的で、効率よく収納するための工夫が随所に見られた。また、フィッシュ・スキン fish skin(魚の浮き袋からできた修復材料)を使用して損傷の著しい資料を台紙に貼り込んでいる事例も見せて頂いた。インク焼けを起こす没食子インクの処置に関しては、フローチャートに従って解説をして頂いた。処置によってインクに多少の変色が見られることや、どこまでの劣化を処置対象とするかなど、自分が処置を行う上で感じていた日頃の問題点を改めて確認できた。ロング・ルームでは、コンサベーション・アシスタントの方々の活動について説明を伺った。データの入力や本のドライ・クリーニング、簡単な修補などを数名のスタッフによって行っているそうだが、ロング・ルームの規模と蔵書量、さらに観光名所ゆえに観光客に常に見られて質問を受けるような作業環境から考えて、肉体的にも精神的にも根気の要る作業だと思われた。なお、ロング・ルーム・プロジェクトと呼ばれるこの継続的な仕事については、弊社のスタッフが訳者のひとりとして参加した邦訳文献『「治す」から「防ぐ」へ、西洋古刊本への保存手当て—ダブリン・トリニティ・カレッジ図書館における資料保存』(シリーズ本を残す⑤、日本図書館協会、1993)があり、参考になろう。

3. アイルランド・ナショナル・ライブラリー <ダブリン>
上記2館と同様、ダブリンの中心部に位置しているアイルランドの国立図書館である。版画担当1名、洋装本・保存容器担当1名、その他にもう1名、さらに非常勤1名の計4名がコンサベーション部門の中心スタッフである。館内を歩いて回りながら、版画担当のルイーズ Louiseさんと、ここに非常勤で勤めている古本啓子さんから、ナショナル・ライブラリーの成り立ちと業務内容について説明を受けた。その後、保存容器の製作現場のほか、古本さんからは一枚ものの処置事例を見せて頂いた。
古本さんが処置を担当した資料の中でも興味深かったのは、サン・ブリーチング sun bleachingという自然光を使った漂白方法である。ここではカビの染みを抜き方法として使っていた。水酸化カルシウム水溶液に資料を浸して太陽光に晒し続ける方法なのだが、実際に処置前と処置後の画像を見ると、その効果は一目瞭然だった(元々はペーパー・コンサーバターとして欧米では名前を知られた故 Keiko Mizushima Keyesさんが、日本の「雪晒し」をヒントにして開発しコンサベーションの技術として確立、普及したものと、帰国してから弊社のスタッフに教えてもらった)。
保存容器を作る部屋も見学できた。その場で製作してくれた保存容器は三角柱のもので、互い違いに重ねられ、無駄なく収納できるように設計していた。留め具やテープを使用しないため、機械での切り出しが終われば、その場ですぐに組み立てて完成となる。しかし、組み立て時に差し込む厚紙が容器の内側に出るために、資料を取り出す際に引っ掛かる所が欠点で、この改良が必要だという。弊社の保存容器の部門のスタッフが同行していたら、きっとその場で良い知恵を出しただろうと思ったことである。
ナショナル・ライブラリーでとりわけ印象的だったのは、スタッフの数に対して、仕事量が多いということだった。少し聞いただけでも資料のコンサベーション、保存容器制作、所蔵資料のサンプル調査などがあり、さらに日々の雑務について考えると、かなりの負担になることだろう。また、プリザベーション(総合的な保存管理)の考え方がまだしっかりとは確立していないとのことで、そういった意味でも課題が多く、これからの業務の大変さが窺えた。

4. ブリティッシュ・ライブラリー・センター・フォア・コンサベーション <ロンドン>
ブリティッシュ・ライブラリーは2007年に新しくコンサベーション・センターを開設した。ブック・コンサベーション・スタジオやサウンド・アーカイブのための設備が整っているほか、ワークショップにも利用されている。ブック・コンサベーション・スタジオはかなりの広さを持ち、大勢のスタッフがそこで作業を行っているのも特徴である。シニア・コンサバターのデビッド・ジェイコブDavid Jacobsさんに館内を案内して頂いた。ジェイコブさんはイスラム製本のコンサベーションの大家であり、私どもの仕事を進める上でも、ジェイコブさんの書かれた文献はとりわけ参考になったので、初めてお会いしたにも関わらず、とても身近に思えた。
センターの詳しい説明はセンターのサイトがあり、そちらをご覧いただきたいが、最新鋭の設備を導入し非常に整備され、また分野ごとにコンサベーション・スタジオが分かれていて、作業が円滑に行われている様子が窺えた。

各コンサベーション・スタジオを回りながら、スタッフの方からそれぞれが担当している仕事について説明を受けた。洋装本の処置、一枚もののマッティング、巻子の処置、パームリーフ(Palm Leaf)資料の処置である。この中で特に興味を引かれたのは、葉貝と呼ばれるパームリーフの処置についてだった。欠損部の補填には和紙ではなく、パームリーフを使用しようとしていたが、接着剤に何を用いるのが最良なのか、パームリーフを均一に染めるにはどんな染色剤が適しているのかを思案しながら作業している所であった。しかし、劣化した本体に新しいパームリーフを接着することで、損傷が進む恐れも充分にあると思われる。今後、接着剤と染色剤の問題などをいかに解決していくのか、興味深く見せて頂いた。

おわりに
全体的にどのコンサベーション・スタジオも整然とした作業空間を保っているのが、また、総じて若い女性スタッフが多いことが印象的だった。なかでもダブリンで訪ねた3つのコンサベーション・スタジオのスタッフ同士は、とても交流が盛んであり、仕事上の相談や情報交換を日常的に行なっているという話を聞き、非常に良い関係作りをしていることに感心した。残念ながら日本の現状では、互いに情報を開示して関係を築き上げることをあまり積極的に行なっていない。今後はそういった関係作りが出来ればと思った。
コンサベーションの技術に関しては、作品としての「展示」を念頭においたコンサベーションを主体にした機関がほとんどだったため、図書館やアーカイブの資料の仕事が主となる弊社とは異なる点も多いのだが、それでも応用できる所も多く、とても参考になった。そして、各スタッフが対象物に対してどのような処置なら最善策となるかを常に模索している様子が窺えたのも収穫だった。以前はこのような処置をしていたが短所があったので、今は改良してこのような処置に変えたという事例や、現在はこういう所で処置が上手くいってないので、次はこうしてみようと考えているという現在進行中の事例を、気兼ねなく提示してできるオープンさをとても好ましく感じた。また、ダブリンのナショナル・ライブラリーの様子から、限られた人員と予算の中で様々な業務をこなす難しさというのも、改めて感じた。何を優先すべきか、常に考えておかなければ、効率的で有効な資料のコンサベーションが行えないのは、対象物の如何を問わず、共通していることである。今回の訪問では、技術的な面のみならず、仕事に対する姿勢などの点で勉強になることが多く、非常に有意義な時間を過ごせた。今後の活動に生かしていきたいと思う。
最後にダブリンで大変お世話になった古本啓子さんに御礼を申し上げます。各機関へのアテンドを惜しみなく精力的にして下さり、同行もして頂いた古本さんなくしては、今回の訪問は実現しませんでした。また、帰国してからも様々な情報を提供して頂きました。ありがとうございました。心より感謝致いたします。
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