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スタッフのチカラ

中国古籍の修理(1)

中国古籍の修理 ― コンサーバターのために (1)

デヴィット・ヘリウェル
(福島 希 訳)  2008/09/19

 

翻訳連載にあたって

英国ボードリアン図書館のキュレーターであり中国目録学の大家でもあるDavid Helliwell氏の著作 “The Repair and Binding of Old Chinese Books. Translated and Adapted for Western Conservators.”(1998)を知ったのは、入社してまもなくの2005年4月だった。西洋のコンサーバターを対象に中国古籍の修復技術と製本技術について記述してあり、非常に興味深い内容なので読んでみるようにとの上司の指示だったが、渡された英語のプリントの束の厚さに当初は圧倒され、中国古籍についてもほとんど知識がなかったことから、戸惑うばかりだった。それでも、他のスタッフと週代わりで翻訳することに決め、少しずつだが下訳をするうちに徐々に内容の面白さが分かるようになった。 下訳は原文約1ページ半ほどの分量を1回分とし、どちらかが日本語訳を作成してくる。それを、場合によっては上司も加わり、訳文で意味の通じないところに意見を出したり、原文自体に疑問がある場合は話し合い、調べ直して解決したりという進め方だった。本来の工房でのコンサベーションの仕事が立て込むと時間を思うように取れず滞った時もあったが、ほぼ毎週のように時間を取って進めていった。このようにして原文全てを大まかに下訳し終えるのに1年、その後の本翻訳と校正作業にはさらに1年ほど費やした。

翻訳には、肖振棠・丁瑜『中国古籍装訂修補技術』と、杜偉生『中国古籍修復与装裱技術図解』が大変役に立った。というのも、“The Repair and Binding of Old Chinese Books. Translated and Adapted for Western Conservators.”は『中国古籍装訂修補技術』が元になっており、これをHelliwell氏が長い時間をかけて翻訳し、さらに現在のコンサベーションの考え方に位置づけ、中国国家図書館等へも足を運び、加筆・修正したものだからである。そして、『中国古籍修復与装裱技術図解』の著書である杜偉生氏(現・中国国家図書館修復部所属)は、原文中に記述があるように、肖振棠の教え子にあたる。この2冊の中国書は今回の翻訳には、欠かすことのできないものだった。両書とも日本語訳がなされていないのだが、掲載されている図や写真、さらには中国語辞典を引きながら、部分的に行った両書の仮訳から理解を得ることは多かった。

なによりも、著者であるDavid Helliwell氏には惜しみない協力を仰ぐことができた。メール上のやり取りのみならず、氏の来日の機会をとらえて、弊社で直接、疑問点をぶつけるという僥倖も得られた。また、中国古籍のコレクションで知られる財団法人石川文化事業財団お茶の水図書館、東京大学東洋文化研究所、国立国会図書館、東洋文庫などに出向いて、貴重な書籍を実際に手に取って観察する機会があったのも、理解を深めるために良い経験となった。 このように単に英文を日本語に直すのではなく、私共なりに内容を理解しながら訳してきたつもりである。だが著者であるHelliwell氏にさえも「理解が行き届かない」とされた技術的な部分での疑問点が幾つか残されており、まだまだ不備が多いものと思われる。これを機会に多くの方々に見て頂いて、忌憚のないご意見を頂戴し、より的確で分かりやすい内容へと充実させたいと考えている。皆様のご協力を頂ければ幸いである。

最後になりましたが、翻訳許可を下さったDavid Helliwell氏、原本を掲載した The East Asian Library Journal の編集者であるプリンストン大学のNancy Norton Tomasko氏に御礼を申し上げます。特にHelliwell氏は労を惜しまず、お時間を割いて私共へのご回答を下さったことを心より感謝いたします。また、共に下訳を進めた田川奈美子さんにも御礼を申し上げます。私ひとりの力では、こんなにも早く公に向けて発表することは叶いませんでした。ありがとうございました。

 

David Helliwell  “The Repair and Binding of Old Chinese Books. Translated and Adapted for Western Conservators.”, The East Asian Library Journal Volume 8, number 1, Spring 1998、 pp.27-149.

 

<主要参考文献>

・肖振棠・丁瑜『中国古籍装訂修補技術』 書目文献出版社 1980
・杜偉生『中国古籍修復与装裱技術図解』北京図書館出版社 2003

 

David Helliwell 氏のこと

ボードリアン図書館の東洋書籍部中国部門のキュレーター。同図書館の中国書の総合目録のシステム作成と、この分野への欧米での影響と貢献で知られる。その功績は“A Catalogue of the Old Chinese Books in the Bodleian Library”にまとめられている。

弊社工房で訳者と 方法の解説を実際に見せてくれるヘリウェルさん

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はじめに

私がボードリアン図書館に職を得たのは1976年である。すぐにコレクションの価値がどれほどのものなのか理解できた。例えば、明の万暦(1573-1620)に収蔵された中国書がある。これはトーマス・ボードレイ自身が1604年に寄贈したものだが、17世紀末までには図書館は百冊以上の中国書を収蔵するようになった。これらはおそらく、17世紀中にヨーロッパへ渡った中国書のうち、現存する本の4分の1に相当する。3つの書棚に収まる程度のものであるが、世界で現存する唯一の本がいくつか含まれている。18世紀以降、中国との交流が盛んになると、ヨーロッパ各地でより大きなコレクションが形成された。なかでもボードリアン図書館のバックハウス・コレクションが有名であろう。このコレクションはエドモンド・バックハウスが1913~1922年にかけて収集したもので、極東以外の地域での中国書のコレクションとしては非常に優れていたと言える。しかし、私が職を得た当初はカード目録でしか資料の検索ができなかった。このカード目録を作成したのは、北京の国立図書館を退職した後にオックスフォードへ招聘された向達という人で、1936年に急遽作成したものであった。そのため、このバックハウスコレクションの目録を整備することが、その後に私が作成した『ボードリアン図書館における中国古籍の目録』の出発点となった。今となっては多少の不備があるものの、これら2冊の目録は1983年と1985年に冊子形態で出版された。

目録作成と在庫調査をする中で、収蔵資料の物理的な状態に大変興味を引かれた。17世紀に入手されたことから当時の製本方法に従い、膠を多く使用したリンプヴェラム装にされている本がある一方で、それ以降に入手された本に関しては手付かずのまま放置されていた。西洋の図書館員は西洋の製本形態に綴じ直すことによって、伝統的な中国書の形態を壊していた。これは知識や資金が足りなかったことが原因と思われるので、私はそれについてあまり述べない。しかし、ボードリアンの製本員は中国の套を模したケースを考案している。ケースの背を丸くしてあるため、書棚に並んでいるとあたかも西洋の本のようだが、バックハウスコレクションの大部分が非常に良い状態を保っていたのは、このケースがあったからである。

西洋の製本形態に綴じ直された中国書の扱いは慎重に行わなければならない。堅くなった膠やヴェラムによって、本を開くたびに損傷が進む恐れがあるからである。しかし、私達が受け取った時点で既に改装されている本はさらに扱いにくい。本の量と劣化の程度を考慮すると、多くの場合は利用が可能となる状態にまで修理することも難しいので、そのままの状態にしておくのが良いだろう。それに対して、本を保護するために単に箱に入れたり、狭板で結んだりしている中国書は大部分が非常によく保存されている。套に本を収めて保存するという中国の方法は、本の閲覧と保存を考える上で非常に有効であり、今や西洋のコンサーバターも認める優れた方法の一つである。

西洋の形態に綴じられた本、特に17世紀に入手した本と、現在修理の必要が出てきているオリジナルの本について、どうするべきか考えていた時、肖振棠・丁瑜著『中国古籍装訂修理技術』が私の目に留まった。私が思うに、現在までに様々な言語で発表された中国古籍について述べた本の中で最も優れたものである。この本は1980年に北京で書目文献出版社から出版された。15000部も印刷されたことから、非常によく広く読まれたことが分かる。丁瑜によれば、1964年初めから空いた時間を利用して断続的に書く形で書き始め、原稿が仕上がったのは1965年11月のことだった。1978年、同じ分野で働く他の人々に役立つからと同僚に出版を勧められ、10年以上も前に書いた「埃をかぶった原稿」を取り出して全面的に見直し、実際の本の修理工程とは直接関係がない箇所は削除した。最初にこの本を見てその重要性を感じた私は、すぐに翻訳を決意して作業に取りかかった。その際ピエ・ヴァン=デル=ルーン教授は、想像以上に大変な仕事であると指摘しながらも励ましてくれた。

マニュアルの主要な著者である肖振棠は、若い頃、古書店街として有名な北京中心部の琉璃廠で本の修理屋として働いていた。琉璃廠というのは、現在は昔ほどの隆盛はないものの、学者にとって非常に魅力のあるところである。肖振棠はそこで乾隆(1736-1795)や嘉慶(1796-1820)で絶頂を迎えた伝統的な中国書の修理技術を学んだ。その後、北京図書館でチーフ・コンサーバターとして技術を磨き、1950~1960年代には中国全土から北京に集まってくるコンサーバターを指導した。彼の教え子には、彼の後を継いで北京図書館のチーフ・コンサーバターとなった杜偉生や、上海図書館のチーフ・コンサーバターである趙家福がいる。それゆえ、肖振棠はともすれば忘れ去られそうな伝統技術を今日に伝える重要な人物の一人であると言える。

そうした伝統的な技術を継承する立場に私がないことは、本を読み進めてきた中で明らかだった。そのため、本の修理に従事する者としてではなく、修理を客観的に観察する者として翻訳しようと思い始めた。私はバックハウス・コレクションの優れた本の多くを修理した技術に特に感銘を受けた。エドモンド・バックハウスは本を購入する際、修理の依頼を琉璃廠でしたと思われる。おそらく肖振棠が徒弟として働いていた頃であろう。バックハウス・コレクションは状態がよく、今までほとんど取り上げられることがなかった中国における本の修理技術の集大成となっている。これらの本の調査によって、長年分からなかった紙を折ったり、切ったりする方法について理解することができた。琉璃廠の伝統的な技術については、肖振棠が彼の本の中で詳細に述べている。

原本の執筆がそうだったように、翻訳にも時間がかかった。空き時間を使って断続的に翻訳し、ちょうど10年かかった。しかしながら、満足のいく翻訳を完成させるためには、現地の工房を最終的に訪れる必要があると感じていた。そこで私は1987年10月、原本の中で理解できない箇所の解明、そして修理用の紙と色材の獲得を目的として北京へ向かった。これに関しては、資金援助をしてくれたブリティッシュ・アカデミーの寛容に感謝したい。しかし残念なことに、肖振棠には会うことができなかった。というのも、彼は1986年に77歳でこの世を去っていたからである。

北京図書館の工房では、1974年からチーフ・コンサーバターを務めている杜偉生氏が私の疑問を解決してくれた。当時、北京図書館の工房は紫竹院公園近くの新しい図書館に移転する時期だったのだが、ありがたいことに私のために長い時間を割いてくれた。肖振棠の引退後、修理に対する姿勢には明らかに変化が生じていた。オリジナルと見分けの付かない修理や、失われた箇所の復元行為は現在では行っていない。いかなる修理も、オリジナルと修理箇所の見分けが付くことに加え、可逆性を持たなければならないとする近代的な修理理念に基づいて作業しているからである。したがって、杜偉生の言葉を借りれば、「本を売る」ために考えられた修理方法が書かれた箇所は本文から削除した。つまり、私の翻訳は中国内外における近年の修理姿勢に基づくものであり、原文をそのまま翻訳しているわけではない。

しかし、中国書というのは伝統的に見た目の良さも重要視する。そのため、あからさまに修理箇所がそれと確認できる方法は受け入れられなかった。このような理由に加え、マニュアルの目的は伝統的に実践されてきた中国書の修理技術の報告である点から、多くの現代のコンサーバターが望むような観念的な問題にまでは触れないこととした。また、原則から離れていると思われる情報も入れることにした。例えば、古い紙の確保(「紙の選択」の項を参照)、古い紙に合わせた新しい紙への色付け(「紙への色付け」の項を参照)の項などである。

さらに、杜偉生の同意を得て、載せるべきではないと思われる処置方法について述べた箇所を削った。それらは多かれ少なかれ現存する未熟な技術でもある。『中国古籍装訂修理技術』はその序文にあるように、国所蔵の貴重書を再調査する際の指導のために緊急に作られたものである。文化大革命という苦い遺産によって、他の分野同様、修復の分野でも当時の中国は極度に技術が不足していた。それゆえ、大量の古い本を早く修理し、利用に供することができる安易な方法が重宝された。このような安易な方法は北京図書館や他の主要な機関では採用されなかったが、本文から削除することにした。

北京訪問後、私の仕事は単なる翻訳以上のものになってきており、もし西洋のコンサーバターの役に立つのであれば、理解をより深められるように説明不足な点を補う必要があることが分かってきた。その一方で、例えば工房に必要な設備などのあまり重要と思われない情報は削除した。さらに原本では図が全くなく、写真も再使用するには画質が悪かった。これに関してはクリストファー・クラークソンと彼の研修生の協力が必要となった。

クリストファー・クラークソンの「修理」に対する天性の理解力について私が知ったのは、彼がボードリアン図書館のチーフ・コンサーバターだった時である。本の修理工程に対する彼の洞察力は、アメリカ議会図書館の貴重書修理室長を始めとする、フィレンツェの大洪水直後からの素晴らしい経験を通じて培われたものである。彼は私が取り組んでいる仕事について非常に有益な助言を与えてくれたただけでなく、全ての説明図を提供してくれた。彼は現在サセックスのウエスト・ディーン大学にある版本と手稿本の修理学部の長を務めている。彼は私が翻訳したこのマニュアルを何年にもわたって使用し、西洋と異なる製本技術について研修生と共に理解を深めている。本を熟読してその技術を確認することで、多くの見識を獲得したり、誤解が明らかになったりしたため、徐々に文章を直していった。クリストファー・クラークソンの多大な協力には本当に感謝している。また、現在はボードリアン図書館コンサベーション製本部門の責任者であり、クラークソンの非常に有能な弟子、ロバート・ミンチにも感謝をしたい。彼は技術を完全に会得し、素晴らしい成果を挙げている。『二十四孝』の現存する唯一の版に対する修理はその好例である。この『二十四孝』は表紙にDatch、1603と刻まれているが、これはおそらく中国書に西洋の銘が刻まれた最も早い例であると思われる。

翻訳はかなりの手直しを行い、ある項に関しては周辺の情報を中心にほとんど書き直した。修理内容に関しては、肖振棠の原本に完全に基づいた伝統的な中国の技術についての忠実な報告だが、北京においての近年の方法、あるいは歴史的な事例の分析については、その内容に関する責任の一切は私にある。しかし、例えば炭酸ナトリウムの使用や、汚れた書葉を洗浄するための熱湯の使用(原本では肖振棠が書葉の上にヤカンから直接熱湯を注いでいる写真がある)については充分に注意をする必要がある。中国の紙は非常に薄く、湿らすと長年の経験なしに扱うことはほぼ不可能であることを、現代のコンサーバターは肝に銘じて作業するべきである。

中国書は長編であることが多く、書葉の数も膨大となる。そのため、マニュアルに沿って、簡潔で秩序だった仕事をすることが特に大切である。中国は本の修理技術に関して他の国よりも長い歴史を持っている。何世紀にもわたって使われてきた技術により、紙媒体資料を千年以上も現存させている。ただし、こうした伝統技術は全て右利きのコンサーバターを対象にしている。従って無理に左利き用にすると、あまりいい成果を得られないかもしれない。

本を修理する上での多くの工程は互いに関係しあっているので、どんなに些細に思える作業であっても、始める前に必ず本文を全て読んでから取り掛かる必要性を強調しておく。貴重書というのは取り替えがきかないものである。最後に、近年の本の修理における重要な理念を記しておきたい。劣化した本は無理に手を入れて台無しにするよりも、技術が発展向上するまで箱に入れてそっとしておく方がはるかに良いということである。

デヴィット・ヘリウェル
オックスフォード、1994

 

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