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中国古籍の修理(2)

中国古籍の修理 ― コンサーバターのために (2)

デヴィット・ヘリウェル
(福島 希 訳)  2008/10/1

基本的な製本形態

中国における最古の文字はいわゆる甲骨に刻まれたものである。これは紀元前約1400~1100年に栄えた殷王朝の首都安陽で見つかった。亀の甲羅の欠片が2つ結び合わされ、「束六」という文字が刻まれている。このことから、紀元前2000年初めには中国は既に文字を記録し、残す方法を考案していたことが分かる。その後、もしくはほぼ同時だったかもしれないが、木簡や竹簡、絹が文字を書き記す素材として使われ始めた。

通説では宦官の蔡倫が105年に紙を発明したとされるが、ここ30年ほどの考古学の研究により、麻の繊維からできた紙が紀元前1世紀には作られていたことが分かっている。しかしながら、クワの木の皮から紙を作り、書写材料として質の高い紙の製造を行ったのは蔡倫が最初である。紙の発明により、今日の私達にとって馴染み深い製本形態が比較的早く発展した。この本ではそのような製本形態について、紙の修補と共に扱っている。

 

1. 巻子

3世紀中に、紙は文字を書く素材として竹簡や絹に取って代わった。その当時の製本形態は水平方向に巻かれた巻子の形態であった。竹簡は互いを結び合わせて絹のように巻いていたが、紙の場合も同様に、数枚を糊で繋ぎ合わせて長い紙にしたものを、まさに絹を巻くような方法で扱う。紙はしばしば黄檗の皮によって黄色に染められ、時には書家のために細い罫線が付けられた。この罫線は後に辺欄へと発展していく。巻子は美しい色に染められた紙で縁取られることも多い。また、木製の軸には場合により象牙や翡翠、硝子の軸首が付けられる。そのため実に素晴らしい外観をしている(写真1)。

巻子は南北朝(420-589)、隋(589-618)、唐(618-907)を通し、文字を記録して残すための主要な方法であった。しかし、12世紀初頭に敦煌莫高窟で発見されたこの時代最大の資料群には、現代でも使われているような別の製本形態も含まれている。例えば、その外見から「アコーディオン装」と言われる折本や、蝴蝶装の初期例などである。

写真1 巻子

写真1 巻子。この巻子は英国図書館のスタインコレクションのもので、東トルキスタンにある敦煌の莫高窟で発見された8世紀の仏教典である。本紙は厚手で、おそらく黄檗によって黄色に染められている。12世紀中になると、本紙にしなやかで柔軟性を持つ紙を使用するようになり、巻子は自重によって開くことができるようになった。図47図48はこの巻子を元にして、軸と巻き緒の付け方を示している。 英国図書館、OMPB or.8210/s.351

図47図48 巻子の部分

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2. 折本

巻子は長くなればなるほど、その内容を見るのに不便となってくる。とりわけ巻末に近い箇所を確認する際は尚更である。この問題は7、8世紀に生まれた折本の考案によって解決した。折本では紙を巻かず、その名が示すとおりに11センチか12センチ幅でジグザグに折り、保護のために両端に厚紙を糊付けして表紙とする。多くの仏教の経典がこの時期中国へ輸入されていることから、この製本形態はおそらくインドの貝多羅装の影響を受けて発展したものだろう。貝多羅装とは長方形にしたヤシの葉を重ねて紐で綴じ、保護のために板で挟んだものである。折本は8、9世紀に最も広く使われたが、仏教との密接な繋がりから仏経の経典の正式な製本形態として現在でも好んで利用されており、「梵夾装」としてよく知られている。また、道教でも同様に経典の製本方法として使われている。他にも手鑑や画帖などに使われている製本形態は折本に手を加えた形だと言える(写真2)。

折本は巻子よりはるかに便利であるが、折り目が裂けやすい。8世紀になって印刷が本の生産の主要な手段になると、紙はかなりの大きさまで水平方向に繋ぐことができても、版木に関しては限界があることが明らかになってきた。中国の冊子形態の本は西洋のものと同様に、その起源がはっきりしないが、この問題を解決する過程で現れたものだと思われる。最初に作られたのは唐代の10世紀初頭で、蝴蝶装の形態だったが、それは後に包背装や線装へと発展していくことになる。

写真2 折本

写真2 折本。向かって左側の明るい黄色の絹の表紙の本は明代(1368-1644)の『大蔵経』である。その隣にある大きな本は正統道蔵のものである。残りの本は全て萬暦時代(1573-1620)における道教の経典の官刻本である。ボードリアン図書館(左から順に)Sinica2903、Sinica2902、Sinica2899(開いているもの)、Sinica2895(下のもの)、Sinica2898

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3. 蝴蝶装

蝴蝶装は書葉(印刷は片面のみ)を半分に折り、その折り目で書葉を糊付けして硬い表紙をつけた製本形態のことである。本を閉じている時は西洋の本のように見えるが、開くと書葉が蝶の羽のように見えることから、この名前がつけられた(写真3)。

『明史』(中華書局、1974、p.2344)には以下のような記述がある。「宮廷図書館の本は宋(960‐1280)、元(1280‐1368)の時代から受け継がれているもので、非常に美しい。テキスト面を内側にして書葉を折り、全ての余白が外側になるように綴じられている。このようにしてテキストが虫やげっ歯類による被害を受けないようにしていた」つまり、蝴蝶装は宋、元代では一般的な本の形態であった。しかし、この時代の他の本が多く残っているにもかかわらず、現存する蝴蝶装がわずかである理由は、明(1368‐1644)、清(1644‐1911)の時代にその当時の標準的な製本形態方法であった包背装や線装に綴じ直されてしまったからである。『明史』によると、蝴蝶装の長所は冊子の小口が損傷を受けても、テキストには被害はないところである。また、版心が書口ではなく糊綴じ側の書脳にあり、傷まないことも特長である。(これらの用語は次章「用語」で説明する)また、本を開いた時に印刷された書葉の半面ではなく、全面が一目で見られる。この構造は大きな図版がある場合には特に都合が良い。一方で特に紙が薄い場合は、本を開くと書葉が内側に丸まった状態になり、書葉の裏面が見えることがあるのが短所と言える。そのため、この方法で綴じられた本は扱いにくく、読むのに手間がかかることもある。

写真3 蝴蝶装

写真3 蝴蝶装。写真のものは共に近代になって作られた複製である。硬い表紙によって立っている本は東京の静嘉堂文庫にある元代の蝴蝶装の複製である。蝴蝶装の中には当初は書口を下に、書脳を上にして棚に置かれていた可能性があることが、地小口の様子から分かる。蝴蝶装はテキスト面を内側にして書葉を折るが、その折り目を上にして配架していたため、テキスト面が損傷することなく完全な状態で残っている。写真下の絵が描かれた本は有名な『十竹斎書画譜』の複製品で、上海で伝統的な技法により印刷、製本されたものである。蝴蝶装で綴じると書葉がほぼ完全に平らな状態に開き、かつ書葉全面を一度に見られることに注目して欲しい。ボードリアン図書館(上から順に)Sinica2841、Sinica2742

 

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