centro del bel libro ascona でのブック・コンサベーションの研修
伊藤美樹 2008/09/08

はじめに
今年(2008年)の7月から8月にかけて、イギリスとアイルランドの図書館のコンサベーション部門の見学の機会を得た。そして、最後の2週間、私はスイスのcentro del bel libro asconaでブック・コンサベーション(Book Conservation)の研修を受けた。イギリスとアイルランドでの見聞は同行した他のスタッフによる別の報告がある。以下では、centro del bel libro での研修を報告する。
centro del bel libro ascona は南スイスのティチーノ州マジョーレ湖沿いの中世の趣が残りイタリア文化の色濃いアスコナという、人口5千人足らずの小さな街にある。centro del bel libro (あえて訳せば”美しい書物のセンター”)は2005年に創立40周年を迎えた歴史ある製本とコンサベーションの学校である。コースは工芸的な製本の技術を教えるBookbinding and Designと、書物および一枚ものの紙媒体作品のコンサベーションを教える Book and Paper conservationの二つがある。
私は後者のコースを採った。授業の前に、学ぶ側がどの程度の技術や知識を持っているかを先生が見定めた上で、こちらの希望もよく聞き、その人のレベルに即した無駄のないカリキュラムが決定される。私が持ち込んだブック・コンサベーションの仕事の記録(Conservation Documentation)を見せながらの説明を聞いた後に、先生が勧めたのは、木製の板を表紙の芯材にして製本された書物(Wooden Binding、以下では木製表紙製本と記述)と革装丁のコンサベーションだった。すなわち木製表紙製本の歴史的な綴じと装丁の理論的な理解と傷みに対する実用的な処置と、革装丁特有の劣化の理解と実用的な処置についてである。特に木製表紙製本は、日本ではめったに扱えない対象だし、後の紙を貼りあわせた芯材(paste board)や現在の板紙の芯材の「先祖」でもあるので、勇んで勧めに従った。
私の先生はヘンリック・レーリヒ(Henrik Rörig )氏で、両コースともほとんどマン・ツー・マンで担当してくれた。学校の案内のホームページには氏のプロフィールが載っているが、先生はエルフルトのプロテスタント教会への勤務のあと、デュッセルドルフでコンサベーションを学び、手製本家としての見習い修業ののちに、ミュンヘンのバイエルン州立図書館でコンサベーションの資格を取得後、ドレスデンのサクソン州立大学図書館 に勤務し、2004年からcentro del bel libro ascona のBook and Paper Conservation 部門を統括している。
以下では、Wooden Binding のコースでの「木製ボードの矯正と修理」と「本体と木製ボードの接合」を、革製本のコースでの「タケッティング」と「革のドレッシング」および「革のファッティング」について主に述べる。
木製表紙製本のコンサベーション
木製ボードの矯正と修理
表紙芯材の木製ボードが熱や湿度などの影響により損傷を受けている際の処置。
1.表紙カバーを木製ボードから外しドライクリーニングの後、亀裂の入った木製ボードにゴアテックスを通して気体で湿気を与え、木をリラックスさせ、少しずつ圧をかけて矯正してゆく。それでも亀裂が閉じない場合は、木の粉末とニカワを混ぜたものを隙間に埋めて接着した。

2.亀裂箇所の隙間の接着のあと、木片をボードの木目に対して直角に埋め込んで補強した。ノミで凹みを造り、ここにぴったりと合う木片を埋め込んだ後に、周りの面(つら)から飛び出た部分をまずノミで粗く削ったのちに、ガラス片の小口で滑らかになるまで削る。

3.二つに分裂したボードは接着のあと、同じように木片を埋め込んで補強するのだが、表と裏から行った。

次は本体(テキスト・ブロック)と表紙芯材との接合である。明治時代の初めに日本に伝えられた洋式製本は、表紙と本体とを別々に作って、最後に表紙で本体をくるむ、いわゆるくるみ製本(case binding)と呼ばれるもので、量産に適したものだったが、それ以前にはテキスト・ブロックを綴じあげた後に、まず表紙の芯材と接合し、その後に表紙(主に革やパーチメント)を表装材として被せる方法が長く行われた。本体と芯材を繋ぐ方法はいくつかあるが、一般的には本体を糸で綴じるときの支えになる複数のコード(紐)を、表紙に空けた孔に入れて結びつけるレースド・イン(laced-in)という方法が採用される。以下ではこの支えのコード(sewing support cord)は麻紐であるが、革や皮(白なめし革やパーチメントなど)も使われる。
1.脆弱になったオリジナルのコードの先端を麻糸とでんぷん糊で修補し補強したあと、レースド・インの孔に通した。

2.木製プラグを作る。楔(くさび)である。レースド・インした孔に表側から打ち込んでコードを固定する。

3.木製ボードの表面から飛び出しているコードと木製プラグを切り落とし、ノミやガラス片で削って表面を滑らかに仕上げた。


こうして本体と表紙とがしっかりと接合された後に革で表装が行われる。コンサベーションの場合には、オリジナルの革を活かせる場合には可能な限り活かすことになる(以下、工程は省略)。
革製本のコンサベーション
タケッティング(Tacketing)
革装丁本の傷みの中でも特に多いのが、ヒンジ部(表紙と背の接合部で、表紙の開閉の蝶番になるところだが、負担がかかる)での表紙の外れである。外れた表紙を再び繋ぎ合わせる方法にはいくつかあるが、以下ではこれを簡易に、あるいは本格的なコンサベーションの一段階として行うタケッティング法を紹介する。糸と和紙(楮紙)を使う。また、この場合の芯材は厚紙(いわゆるボール紙)である。
1.本体のヒンジ部のミミ(英語ではshoulder、肩)に糸を通す孔をドリルで開けた。一方の外れた表紙は、ヒンジ部にくる側の効き紙と芯材をメスでカットしてめくり上げ、芯材のヒンジ側の小口から表紙の裏に、斜めにドリルで孔を開けた。入り口は1つ、出口は2つになる。

2.短冊状の和紙を本体のミミの立ち上がり部にあらかじめ貼っておく。下図のように本体の孔に糸を通し、ミミの端で結び目を作り、糸の両端を表紙の2つの孔にそれぞれ通して、本体と表紙がヒンジ部分でしっかりかみ合うのを確認した後に、糸を結び合わせた。


ヘラで結び目を芯材になじませ、めくり上げた効き紙を糊で貼り戻した。先ほど貼っておいた和紙を折り返して貼り、補強とともに隙間へなじませた。

タケットで接合する方法は、『「治す」から「防ぐ」へ-—西洋古刊本への保存手当て』(日本図書館協会発行、1993年)で紹介されている(p.35、ジョイント・タケット)。同書はダブリン・トリニティ・カレッジ図書館の古刊本への手当てのプロジェクトを翻訳したもので、弊社のスタッフが訳者の一人だったこともあり、弊社では古くから採用していた方法であるが、今回教えたもらった方法は、タケットの糸が見返しと芯材ボードにしっかりと留められるため、丈夫で、見た目も良い。
レッドロット(red rot)処置
レッド・ロットとは、表装の革が大気中の酸や製造工程での不適切ななめしにより劣化して赤茶け(red)、表面が割れたり、粉が吹くようになってしまう(rotting)現象を指す。製本用の革の質が極端に低下した19世紀後半からの革装丁本の大半が、この症状を呈している。日本の図書館の蔵書も同じような症状に見舞われている。すでに革として「死んだ」ものは手当ての施しようがないが(圧倒的に多い)、まだ「生きて」いるものには、酸性劣化でレッド・ロットが起きている植物なめしの革のpHを上げ、汚染からの影響を受けにくくする処置がある。それを教えてもらった。
レッド・ロットが生じている革に、アルミニウムトリイソプロピレートとベンジンそしてエチルアセトアセテートの混合溶液を塗布した。極端に低下した革のpHを上げて、安定域に戻す。塗布直後は濡れ色になるが、含浸性が良いために、乾燥すると塗布前と変わらない表面になる。また、この処置をあらかじめしておくと、他のコンサベーション処置に糊や水分のある材料を使っても、水染み跡が残りにくくなる。ただし革を強化できるわけではない。
この処置の後に、セルロース・エーテル類の一種のHPC(ヒドロキシプロピルセルロース)液での処置を行った。HPC処置は上記の『西洋「古刊本への保存手当て』でも紹介されている糊料の一種で(同書、p.30)、こちらも弊社の工房では古くから採用している。HPCは水よりも染みになりやすいので、スポットテストであらかじめ挙動を確認してから塗布しなければならない。必要であれば、染みが生じなくなるまでアルミニウム処置を繰り返す。

革へのドレッシング(dressing)
乾燥し、脂が抜けてしまった革に再び脂分を与えて、柔軟性と輝きを持たせる処置である。まず海綿をぬらしたら、わずかに水分が残っている程度までタオルなどで水分を取って調節し、ドレッシングを施す箇所にあてて水分を与えた。これにより、次に与える油分の通り道をつくる。次にワセリンを手の甲に少量とり、ウールやコットンのクロスに薄く含ませ、加湿箇所にあてて脂分を与えた。
ドレッシング処置は空調の整った室内で行い、処置後4日程度は湿度70%の環境に保管し、また処置後1週間程度は換気設備のある室内で放置して揮発させるのが好ましい。


革へのファッティング(fatting)
以上のワセリンを用いたドレッシングでは脂分の付与が充分ではない場合に、ファッティングを行う。まず3分程度チャンバーの中で加湿させた。このときに本体も水分を吸収し本紙にゆがみなどの悪影響が出る可能性があるので、本体を紙で覆っておいたほうが良い。

その後にファッティングの薬剤を革に含浸透させる。これには下記のように二種類あり、革の状態に応じて使い分ける。
ファット・レザー・ドレッシング・ミルクはケロシン、牛脚油(Neatsfoot Oil)、ラノリンの混合液である。このドレッシングは化学的な損傷が著しいものに有効である。ドレッシングの塗布により、革の脂分を標準まで上げ、必要な水分も維持できる。
一方のファット・エマルジョン・ミルクは、ケロシン、蒸留水、牛脚油、中性非イオン系洗剤、ラノリンの混合液である。このドレッシングは物理的、機械的損傷のあるものや、pH3程度のものにのみ有効である。
これを綿棒などを用いて、劣化部に塗布する。

処置の終わった革は表装される前に、あるいは表装後に、欠損部を革や和紙で補修され、補彩や、ワセリンでの処置を再び施されて完成になる。

あとがきに代えて
ヘンリック・レーリヒ先生と奥様には、授業の時だけでなく、放課後や休日にも親しくおつきあいしていただける機会を得ました。お人柄や、アスコナの街や取り巻く自然を知っていただくのも良いかと思い、プライベートではありますが、画像を乗せることにしました。

白い立派な髭の方は製本工芸を教えるWolfgang Puissant先生。レーリヒ先生と奥様とともにご自宅での夕食に招待して下さった。弊社製の手ぬぐいをはち巻きにしておどけているのがレーリヒ先生。

週末に先生と奥様と3人でMonte Cominoへハイキングに行きました。のどかな集落を抜けると、山の谷間の向こうにマジョーレ湖が見えます。また、隣町のロカルノ(国際映画祭が開催されます)に花火見学にも行きました。
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