アンソニー・ケインズと書物のコンサベーション
木部 徹 1993年
以下は、『治すから防ぐへ--西洋古刊本への保存手当て』(海野雅央ほか訳・編、日本図書館協会発行、1992年刊行、現在は品切れ)の解説として執筆した小論が元になった。ここに掲載するにあたって原文への若干の訂正をしたが、初出から10年を経た現時点での新しい情報を加えることはしていない。ただ、当時は不可能だった関連サイトへのリンクをしている。『治すから防ぐへ』の訳・編は海野氏と金山智子氏、木部の三人によって行われた。(2003/10/25 木部記)。

本文の著者の一人であるアンソニー・ケインズ(Anthony Cains)と、1966年のフィレンツェでの図書館災害を挟んだ書物のコンサベーションの歴史について話します。これによって、ダブリン・トリニティ・カレッジ図書館の資料保存活動の位置付けとともに、書物のコンサベーションの歴史が、よりはっきりすると思うからです。
1. コッカレル製本工房----コンサベーションとしての製本
今年(1992年)の春に来日して、いくつかの図書館等で講演をした英国図書館のニコラス・ベーカーさん(副館長、貴重書担当部長)が、あるところに「図書館内でのコンサベーションの仕事の質では、ダブリンのトリニティ・カレッジ図書館が持つ部門が唯一、高いレベルを維持している」と書いています[注1]。これは1982年のベーカーさんの言葉ですが、今現在でも、この事情はさほど変わらないとわたしは思います。バーカーさんの「唯一」というのは、「アイルランド共和国と、イギリス国内の図書館や文書館の中では」という意味ですが、世界的に見ても、ダブリン・トリニティ・カレッジ図書館のコンサベーション部門は質の高い仕事をしていることで知られています。この部門の生みの親であり育ての親がアンソニー・ケインズです。
アンソニー・ケインズは1936年にロンドンに生まれました。十代の半ばにニール製本所という製本工房に徒弟奉公に入ります。この工房は版元製本を営んでいました。といっても、いまの版元製本のように完全に機械化されてはおらず、多くの工程が手作業によるものでした。ケインズはここで手作業での版元製本の技術の修得に励むのですが、やがて飽き足らなくなり、1952年から1958年まで、ロンドン・スクール・オブ・プリンティング・アンド・グラフィック・アーツという専門学校で、より深く、手製本の勉強をします。この学校では、エドガー・マンスフィールド(Edgar Mansfield) をはじめとする名のある工芸製本家や、修復家が教えていました。さらに、ケインズは、1959年から約1年間、ウィリアム・マシューズ(William Matthews) という、これも当時のイギリスでよく知られた製本家の下でも修行をします。
だが、なんといってもケインズのその後を決定づけたのは、1961年にコッカレル製本工房に入ったことでしょう。版元製本屋で徒弟奉公し、その後も優れた先達に教えを受けたケインズですから、すでに製本の技術者としての立派な腕をもっていたことは間違いありませんが、シドニイ・コッカレルとの出会いによって、現在のケインズが生まれた。単なる手製本ではない、コンサベーションとしての製本の権威が生まれたのだと思います。
そのシドニイ・コッカレル(Sidney Cockerell) のお父さんがダグラス・コッカレル(Douglas Cockerell)で、ダグラスの師匠が T.J. コブデン=サンダーソン(T. J. Cobden-Sanderson) です。コブデン=サンダーソンは、ウィリアム・モリス(Wiliam Morris) のアーツ・アンド・クラフツ運動に製本家として参加した人ですが、ダグラス・コッカレルはコブデン=サンダーソンの片腕として、モリスのケルムスコット・プレスが出す特装本の製本をしました。コブデン=サンダーソンがダブズ・プレスを閉じた後はコッカレル製本工房をもち、工芸製本とともに、「シナイの書」((Codex Sinaiticus) を始めとする、いくつもの有名な古典籍のコンサベーションを手がけました。
ダグラス・コッカレル以前にももちろん、高い技能をもつ製本家はいましたし、いわゆる修復をなりわいとする製本家もいたわけですが、コッカレルの仕事はこれまでのものとは根本的に違っていた。彼には Bookbinding and Care of Books; a textbook for bookbinders and librarians (1901年発行)いう著作があり、版が重ねらて、現在でもペーパーバック版で出版されています。いま読んでも、とても役に立つ文献ですが、表題をみてもわかるように、図書館資料としての書物の製本とケアについてきちんと触れています。いま、わたしたちは、「資料保存」について語るときに、資料の耐久性と耐用性(permanence & durability)という言葉を使いますが、この言葉を、製本と製本材料について最初に使ったのはダグラス・コッカレルです。
耐久性とは、書物などに使用されている材料の元々の物理的・化学的な安定性に関連したことがらです。一方、書物というのは機械的な動きを伴いながら、人によって繰り返し用いられる構造物ですから、いくら材料の耐久性が保持されていたとしても、繰り返しの動きに耐えるだけの機械的な強さがなければなりません。これが書物の耐用性といわれるものです。ダグラス・コッカレルはすでに今世紀の初頭に、耐久性と耐用性をもつ書物とその製本の技術を考えて、これを実践した人です。
ダグラスの息子のシドニイ・コッカレルは、一緒にコッカレル・アンド・サン製本工房を運営します。そしてダグラスの死後も、父親を上回るよい仕事をします。彼一人でもおそらくよい仕事はできたでしょうが、なによりもパートナーに恵まれた。ロジャー・パウエル(Roger Powell) です。イギリスの、というよりも欧米の書物のコンサベーションの歴史を語るときに、シドニイ・コッカレルと並んで忘れてならないのが、このパウエルという人です。パウエルも、たくさんの貴重な古典籍のコンサベーションを手がけた人で、ダブリン・トリニティ・カレッジ図書館が所蔵する、中世写本の白眉といわれる、「ケルズの書」((Book of Kells)のコンサベーションも彼の仕事のひとつです。
書誌学者のドロシー・ハロップ(Dorothy Harrop)は、コッカレルとパウエルについて次のように言っています。
「ロジャー・パウエルがサンディ(シドニイ・コッカレルの愛称)の父のダグラス・コッカレルの工房に参画したのは1935年のことである。この前に、すでに12年間、サンディはダグラスの良きパートナーとして仕事をしていた。当時においてもここは、高い水準の工芸技術と、厳選された材料だけを駆使する、優れた工房として定評を得ていた」。「書物の、見えるところと同じように、もしくはそれ以上に、見えないところにも最大限の注意を払う、場合によっては外観を完全にすることを犠牲にしても、構造の健康さを守る、要は復元ではなく保存なのだ----こうした原則が貫かれた。コッカレルとパウエルが手がけた本は常に最良の耐久性を約束されるという顧客の信頼は、この原則あってのものである」[注2]。
そのシドニイ・コッカレルが油の乗り切った仕事をしていたときに弟子になったのがケインズです。ケインズは次のように言っています。
「書物のコンサベーションに対するわたしの今日の考え方を固めてくれたのは、シドニイ・コッカレルです。彼の下で働くようになったとき、わたしは書物の修復つまりレストレーションの技術だけに目を奪われていて、哲学がなかった。それを教えてくれたのがコッカレルです。かれはわたしに、製本の表層ではなく、どのような製本の仕方が目の前の本に適当なのか、なぜそうなのかを徹底して叩き込みました。コッカレルの手製本には、目的に最もかなったものを、という伝統が活きています。彼の下でわたしは製本の全てを、基本から学び直さねばならなかった。なぜこのような製本をするのか、本当に必要なのか、それは後々も復元が可能な方法か、最適の方法であるか--等々。」[注3]
ケインズがここでいう「目的に最もかなったものをという伝統」は、ウィリアム・モリスが中心になって進めたアーツ・アンド・クラフツ運動のなかから出てきた「伝統」です。モリスはこれを自らが作り出す工芸品の理想的なあり方として掲げました。もちろん、そこで使用する材料も、ワークマンシップも、「健康」であること(sound materials and workmanship)が絶対必要条件とされています[注4]。
モリスからコブデン=サンダーソンへ、さらにダグラス・コッカレルに受け継がれたアーツ・アンド・クラフツ運動の「伝統」は、シドニイ・コッカレルとパウエルにいたって、書物のコンサベーションという新しい分野で花開きます。モリスが推進した工芸運動は、さまざまな分野に影響を与えましたが、最も現実性をもったものが書物のコンサベーションの分野ではないかと、わたしは思っています。
ケインズには『新しいコンサベーションの取り組み方』という短い論文がありますが、その中で次のように言っています。
「コンサベーションの分野では徹底して誠実(honest)でなければならない。見栄えではなくて、機能を優先させる仕事でなくてはならない。また、作業の過程を記録して他の人にもわかるようにしておく。材料もまた、見えるところにも見えないところにも、その時点で知り得るかぎりの真正(honest)なものを使うべきだ。」
「レストレーションという用語であるが、好ましくない意味を含んでいるので、今はコンサベーションという言葉とあわせて用いることにしよう。実際には以下のような意味で使われる。」「レストレーションは、伝統的な使われ方では、しみを抜いたり、見かけの悪くなったところを取り除いたり、原資料の欠損部を補填したり、例えば綴じ直しの場合のように、本のどうしようもなく傷んだ部分を新しい材料と取り替えたりといったことを、巧みに行なうことを意味するが、現代的なコンサベーションの倫理的規範と基準に則って行なうようにする。このことは、方法と材料に関して徹底して誠実な取り組み方をするうちに、おのずと明らかになる。簡単に言えば、新しい材料を使ったところは、原資料と見分けられる方がよい。違いがはっきりと判るようにというつもりはないが、対象資料を「完璧」にしようとしたり、本の場合ならば、つまらない復元物を作ろうとすることに対して注意を促したい。レストアラーの責務は、対象資料を丈夫で安定したものにすることと、それが傷まないように保護することであって、それ以上でもそれ以下でもない。」[注5]
ケインズはシドニイ・コッカレルの薫陶を受け、工芸的な製本とともに、古い貴重な書物のコンサベーションの専門家として頭角をあらわしきます。そして、1966年が巡ってくる。ケインズは31歳。
2. フィレンツェの図書館災害----マス・コンサベーションへ
1966年11月4日、イタリアのアルノ川が氾濫します。これによって流域がたいへんな被害を受けたのですが、特にフィレンツェ(フローレンス)では、イタリア・ルネサンス期を今に伝える貴重な文化財が壊滅的な被害を被った。図書館や文書館の資料もそうです。ダンテ、ペトラルカ、ミケランジェロ、ダヴィンチなどの手稿を筆頭に、貴重な文書や書物が、それも膨大な数のそれが、泥水の下に埋まった。
「フィレンツェを救え!」を合言葉に、各国に救出チームが組織されますが、まっさきに対応したのがイギリスとアメリカです。イギリスにはイタリア芸術・文書救出基金(Italian Art and Archives Rescue Funds)ができた。図書館や文書館資料の救出については、シドニイ・コッカレルとロジャー・パウエルが相談を受けます。すでにこのときにはパウエルは、コッカレル製本工房から独立して自前の工房をもち弟子を育てていますが、フィレンツェの図書館災害の救出活動の中核になったのは、この二人の弟子たち、後にアングロ・フローレンティネス(Anglo-Florentines)と、親しく呼ばれるようになった人たちです。コッカレル・アンド・パウエル・スクールの生徒たちともいわれますが、ピーター・ウォーターズ(Peter Waters)、クリストファー・クラークソン(Christopher Clarkson)、ドン・エザリントン(Don Etherington)そしてケインズなど10数名が、災害から3週間後の11月25日にフィレンツェに到着する。
救出活動を指揮したのは、ロジャー・パウエルの高弟で、すでにそのときにはパートナーになっていたウォーターズですが、彼は現場での手作業というよりも全体の管理、すなわち計画の立案や調整やチェック、イギリスにいるコッカレルやパウエルとの連絡が主な仕事でした。現場での手当ての指導はケインズが中心になり、クラークソンやエザリントンが補佐した。皆、若い。20代から30代前半です。
現場での手作業といいましたが、最初はどこから手をつけてよいかわからないんです。ウォーターズたちは壊れた本を治す技術を引っ提げてフィレンツェに乗り込んできたのですが、被害の現場を見て呆然としてしまう。数があまりに膨大だからです。ひとつの図書館で数千、数万冊規模の書物や文書が泥水の下になった。国立図書館だけでも「1840年以前の書物が8万冊、1840年以降の書物が35万冊、洪水により著しい被害を受けている」。このような群として被害を受けた資料に対して、これまでの一品料理的な「修復」を実行するのは全く現実的ではない。泥水でひどく汚れ、あっというまにカビが発生する。紙はふやけ、製本もガタガタになっている。もし「修復」を選択したら、ウォーターズの試算によると、「100人の専門家がいたとして20年かかる」[注6]。
災害現場での悪戦苦闘と思案の末にでてきたのがマス・コンサベーション、すなわち大量の資料を相手にしたコンサベーションという考え方であり技術です。
ケインズらはフィレンツェ国立図書館に設置された修復センター(The Restoration Centre of the Biblioteca Nazionale Centrale Firenze)を拠点にマス・コンサベーションに取り組んでいく。マッド・エンジェルズ(Mud Angels)=泥だらけの天使達と呼ばれた各国からのボランティアの人たちにより運び出された書籍や文書は、乾燥と、防虫・防カビ処置を施された後に、まずどのような被害を被っているかという簡潔な調査がそれぞれの資料に対して行われる。このデータに基づいて、なにを優先し、なにを後回しにするかを決め、優先するものから順番に、最も有効な次の手当てを施す。
このときに使われた、被害状況の全体が俯瞰できる調査とそれに基づいた手当ての決定のための仕様カード(specification card)には、これまでケインズたちがコッカレルやパウエルから学んできたコンサベーションの考え方が活きています。例えば、オリジナルの製本方法について、過不足ない記録をとることが要求されています。ケインズによれば、修復センターの作業においては、次の手当てで使う材料や方法についても、その物理的・化学的な安定性が要求されていますし、どのような手当てを行ったかもきちんと記録化しておかねばならないとしています。さらに、もっと大切なことは、過剰な修復措置によって元の資料が「もの」として保持している情報を変えるのをいましめていることです[注7]。
こうした知見のいくつかは、すでに述べたように、コッカレルやパウエルの工房で日常的に実践されてきたことですが、フィレンツェでのマス・コンサベーションに全面的に導入され、改良された。他に、これまでは廉価本のための簡易な製本と見なされていたリンプ・ベラム製本の耐久性と耐用性の再評価[注8]、補修材料としての和紙と糊の全面的な導入、新しい防カビ・駆除法の適用等、この救出活動の中から生まれた知見はたくさんあり、それは現在のコンサベーションの考え方や技術に受け継がれています。
3. ウォーターズら、アメリカへ----段階的保存プログラムの開発
ケインズは1967年から1972年まで、フィレンツェ国立図書館修復センターの技術コンサルタントとして指導し、国立図書館修復システムと呼ばれるマス・コンサベーションのシステムを作りあげた[注9]。そして一段落した1973年にアイルランドのダブリン・トリニティ・カレッジ図書館に招かれます。この後の話は本文を読んでもらえばよいわけですから、ここからしばらくは他の「アングロ・フローレンティネス」について述べます。ウォーターズ、クラークソン、エザリントンの3人です。
フィレンツェでの美術品や工芸品、そして書物と文書の救出には、イギリスと同じく、アメリカも素早く対応しました。イタリア芸術救済委員会(Committee to Rescue Italian Art = CRIA)が組織され、雑誌『ナショナル・ジオグラフィックス』(National Geographics, July 1967)が大きく頁を割いて、被害と救出活動について報道します。CRIA による救出チームは、イギリス・チームよりも少し早く、11月14日には第1陣がフィレンツェに入っています。図書館資料の救出には、ニューヨークで自前の工房をもちコンサベーションを手がけていたキャロリン・ホートン(Carolyn Horton)、シカゴのニューベリー図書館のコンサベーターのポール・バンクス(Paul Banks) などが参加しました。彼らはウォーターズらイギリス・チームと力をあわせて、お互いの知識と技術を出し合い、水害からの救出にふさわしいコンサベーションの技術を開発していきます[注10]。イギリスやアメリカからだけでなく、フランス、オーストラリア、デンマークなどからも、書物や文書のコンサベーションに携わる人達が応援に駆けつけます。
フィレンツェの洪水による被害は確かに大きな悲劇だったでしょうが、あれがなければ、これだけの人材が欧米各国から一同に会し、知識や技術を交換して切磋琢磨するということもなかったでしょう。また、後述するような国際的なコンサベーションのための人的ネットワークができることもなかったでしょう。「1966年のフィレンツェ」が欧米でのコンサベーションの分岐点といわれ、コンサベーションの歴史を語るときに「洪水以前」、「洪水以降」と区分されるのはもっともです[注11]。
ところで、アメリカ・チームの中に、アメリカ議会図書館のフレーザー・プール(Frazer Poole)がいました。彼は「アングロ・フローレンティネス」の仕事ぶりにすっかり魅せられ、こうした組織的・計画的なコンサベーションこそ、膨大な破損資料を抱えている議会図書館に必要なものだと考えます。このプールの先見性は、今にして思えばたいへんなものだったといえます。プールはアメリカ議会図書館の資料保存分野の責任者として、館内に科学的な実験や試験ができる部門を設置するなど、「洪水以前」から活躍していた人ですが、フィレンツェでの「アングロ・フローレンティネス」のマス・コンサベーションに着目した。そして議会図書館に、新しいコンサベーションの考え方を拠りどころとした資料修復部(Restoration Office=現在は Conservation Office)を作るため、1976年にまずウォーターズを迎えて、この部門の長にし、さらにクラークソンとエザリントンを迎えます。この3人が、議会図書館だけでなく、アメリカの他の図書館や文書館での資料への保存修復手当てを、それまでのレストレーション一本やりから、コンサベーションへと転換させるのに大きな役割を果たすことになります[注12]。
ウォーターズらはまず、コンサベーションの仕事を進めるのにふさわしい工房の設計をします。この設計のひな型になったのがフィレンツェ国立図書館に設置された修復センターでした。そして、フィレンツェでの救出作業に導入し、現場での共同作業の中から生まれてきた知識と技術を、今度はこの部門に注ぎこむのですが、そこから再び、マス・コンサベーションの最も有効な方策である段階的保存プログラム(Phased Conservation/Preservation Program)が生まれます。
フィレンツェでのマス・コンサベーションは、水害を受けた資料群を救出するために開発されたものです。しかし、たとえ水害を受けていなくても、手当てが必要な資料が群として、図書館や文書館に存在します。マス・コンサベーションが必要とされるという意味では同じなのです。
アメリカ議会図書館で、段階的保存プログラムが初めて導入されたのは1972年です。最初のそれは傷んだ一枚ものの文書などへの手当てを、それまでのラミネーション法(一種の表打ち法)から、ポリエステルフィルムを使ったエンキャプシュレーション法へと転換するというものでした[注13]。 現物にはほとんど手をつけずに、そのままの状態で不活性のフィルムで作ったカプセルに封入してしまう、それもあまり費用をかけずにシンプルな方法で。
現物にはなるべく手をつけずに、利用できるかたちにまでもっていくという考え方は、次の対象になった貴重書群の保存手当てにもそのまま活かされました。この貴重書群は16世紀から18世紀にかけて出版された約8,000冊の法律書でした。ウォーターズは次のように言っています。
「このうちの2割が、硬い芯材のベラム表紙のものだった。ひんぱんに利用されるというのではなく、以前に修復されたものも少ないコレクションである。しかし、大半の本は損傷がひどく、書庫の床に表紙や本文紙の破片が落ちているのを発見することも度々あった。表紙もひどく歪んでいた。乾燥したところに置かれていたために、ベラムが芯材から外れて反ってしまったためだ。大きさが違う本を一緒に立てて保管しておいたことからくる歪みもあった」[注14]。
こうした書物を前にすると、思わずひとつひとつ治したくなる。しかし「もし、わたしの部門で徹底した手当てを施したならば、48 万時間、280年かかることになる」。ウォーターズならずとも「こうした手当てを実行するのは全く非現実的だ」と言わざるをえないでしょう。
ウォーターズはなにをしたかというと、なにもしなかった。クリーニングや簡単な補修程度はしましたが、現物にはほとんど手をつけずに、とにかく全部をそのままフェイズド・ボックスと名付けられた箱にいれた(このシンプルな構造の保存専用箱は、日本や中国のいわゆる四方秩をヒントにしたもの---とウォーターズは言っています)。箱に入れられた資料の大半はそのままの状態で利用に供されました。そして、箱入れと平行して進められた資料毎の保存状態の記録をもとに、どうしても現物に手をつけなければならないものに限って次の段階へと進めた。自らが長である修復部門に持ち込み、「健康な材料とワークマンシップ」を駆使して治した。
現物にはなるべく手をつけず、まず調査をしながら、どうしても利用に支障があるものを優先的に選び、その傷みの程度にあわせて、物理的・化学的に安定した、過不足ない手当てを施す----これが段階的保存プログラムです。
フェイズド・ボックスに代表される長期保護性に優れた容器に資料を入れることと、状態のチェックを主な作業とした段階的保存プログラムは、貴重な資料群をもつ図書館や文書館にとって、もっとも実効性のあるプログラムとしてしだいに認知され、普及していきます[注15]。そしてケインズのいるトリニティ・カレッジ図書館でも、本文にもあるように、段階的保存プログラムを導入していくのですが、ロングルーム・プロジェクトにおいては、状態のチェックや容器入れが、他の作業、例えば保管環境の整備や簡単な補修、さらにはマイクロ化などの代替物の作成と有機的に連係したところがポイントです。
アメリカに渡った3人の「アングロ・フローレンティネス」のその後ですが、ウォーターズはアメリカ議会図書館に在籍し、コンサベーション部長として活躍します。そしてコンサベーションだけでなく、コンサベーションを含む、資料保存の全体の管理を統括して行うプレザベーション部門を作る原動力になります。そして、1988年2月に起こった、レニングラードの科学アカデミー図書館の災害救出のためには、サリー・ブキャナン(Sally Buchanan)、ドン・エザリントンと一緒に現地で指導しました。この火災による被害は、「図書館のチェルノブイリ」といわれたように、図書館災害史上で最大規模です。焼失も含めて40万冊が著しい被害を受け、360万冊が、消火のための水を被った。ウォーターズは、このうちでオリジナルの形で保存しなければならないものには、段階的保存プログラムが最も有効だったといっています[注16]。
クリストファー・クラークソンは、本文にも名前がでてきますが、イギリスに戻り、オックスフォード大学ボードレイアン図書館の保存修復室長に就任し、ケインズのいるトリニティ・カレッジ図書館と並び称されるレベルの高い資料保存部門をボードレイアンに作りました[注17, 18]。1987年にウェスト・ディーン・カレッジに移り、「製本と本の保存手当て」のコースの総責任者となりました。書物のコンサベーション理論の面でも優れた業績を残していますが、幸いなことに、日本には彼の主要論文がすでに金谷博雄により『ゆずり葉』で翻訳・紹介されています[注19, 20]。わたしは、この翻訳・紹介こそ、単なる手製本や修理製本ではない、「書物のコンサベーション」が、日本に本格的に導入される契機になったと思っています[注21]。
さきほど名前がでてきたエザリントンは、議会図書館時代にウォーターズの片腕として活躍するとともに Bookbinding and the Conservation of books; A Dictionary of Descriptive Terminology という、『製本と書物のコンサベーションのための事典』を1982年に出版します。その後、オースティンのテキサス大学(University of Texas, Austin)のハリー・ランサム・ヒュマニティ・リサーチ・センター(Harry Ransom Humianities Research Center = HRHRC)に招かれ、これもトップクラスの規模と内容を持つコンサベーション部門を作りました[注22]。
関係のあることなので、アメリカ・チームの一員としてフィレンツェに行ったポール・バンクスにも触れておきます。バンクスはシカゴのニューベリー図書館のコンサベーターでしたが、コンサベーションだけでなく、それを包含したプリザベーションの重要性を早くから指摘し、啓蒙を行ってきた人です。アメリカ文化財保存協会(American Institute for Conservation of Historic and Artistic Works= AIC) の会長も務めた人で、彼によって美術館や博物館のコンサベーターや保存科学者との相互乗り入れができるようになった。アメリカの「資料保存」を画期的に進展させた立役者の一人です。彼は、かねてからの念願通り、1981年に世界で初めての「資料保存の専門家」を養成する講座をコロンビア大学図書館学校に開設します。この講座はコンサベーターの育成とともに、プリザベーション・アドミニストレーター、つまり資料保存全般の管理運営を行う人材を育てることも行ってきました。バンクスの見識の高さと、アメリカの資料保存活動の歴史を感じさせます[注23]。ちなみに、この3年間のコンサベーター講座では、最後の1年間はインターンとして現場での実際の仕事につくことを課せられますが、バンクスは生徒たちの何人かを定期的にトリニティ・カレッジ図書館やボードレイアン図書館、それに本文にも名前がでてくるピックウォード(Nicholas Pickwoad[注24]の元に送り込んでいます。コロンビア大学図書館学校が閉じられるのに伴い、せっかくの講座の行方が懸念されていたのですが、これも1992年から、HRHRCがあるテキサス大学が受け継ぐことになりました。
4. プリザベーションへ----コンサベーションからの展開
わたしたちが日本語に翻訳し、シリーズ『本を残す』の一つとして出版しようとしているケインズらの著作の背景には、以上に述べたような歴史があります。19世紀末のアーツ・アンド・クラフツ運動から派生し、コッカレルとパウエルが基盤を作り、彼らの生徒たちによってフィレンツェに持ち込まれ、さらにそこから波及していく、書物のコンサベーションの大きな流れです。この力強い流れの先端にダブリン・トリニティ・カレッジ図書館のコンサベーションも位置しています。
ただ、ここでぜひとも注目してもらいたいのは、ケインズ自身がトリニティでの仕事の中で、コンサベーションからプリザベーションへと徐々に視野を拡大していくところです。『ロングルーム・プロジェクト----古刊本への保存手当て』には、これまで培われてきた書物のコンサベーションの知恵が集約されていますから、特に、西洋古刊本を持っている日本の図書館でもずいぶんと役に立つでしょう。しかし、その知恵が十全に機能するのは、図書館の他の部門や利用者も射程に入れたプリザベーションという大枠があればこそです。今回、『ロングルーム・プロジェクト』と一緒に紹介できることになった Preservation and Conservation in the Library of Trinity College には、コンサベーションからプリザベーションへという地平を、ケンイズたちがどのように切り開いていったかが書いてある。そこをしっかりと汲み取ってもらいたいのです[注25]。
注
[注1] Barker, Nicholas. The conservation needs and policies of libraries and record offices. Preservation Policies and Conservation in British ibraries: Report of the Cambridge University Library Conservation Project(F.W. Ratcliffe), Library and Information Research Report 25, British Library, 1984.
[注2] Harrop, Dorothy. "Pioneers of Conservation: Roger Powell and Sydney Cockerell." The Book Collector, Vol.35, No.3, 1986.
[注3] Chepesiuk, Ron. "The Conservation Laboratory at Trinity College in Dublin." The New Library Scene, Vol.5, No.5, 1986.
[注4] Tidcombe, Marianne. "The Cockrell Tradition." The New Bookbinder, Vol.1, 1989.
[注5] Cains, Anthony. "New Attitudes to Conservation." in P. Smith's "New Directions in Bookbinding"(Studio Vista, 1974).
[注6] Waters, Peter. "The Florence flood of 1966 revisited." in Preserving the word(Library Association, 1987)
[注7] Cains, Anthony. "Book Conservation Workshop Manual 5: Specification and Observation" The New Bookbinder, Vol.5, 1984.
[注8] Clarkson, Christopher. Limp Vellum Binding and Its Potential as a Conservation Type Structure for the Rebinding of Early Printed Books: A Break with 19th and 20th Century Rebinding Attitude and Practices. ICOM Committee for Conservation. 4th Triennial Meeting, Venice, 1975.
Fitzsimons, Eileen. Limp vellum Bindings: Their Value as a Conservation Binding. Restaurator,vol.7, 1986.
[注9] Cains, Anthony. "The 'System' of the Biblioteca Nazionale in Frorence: the international contribution to its philosophy and development during priond 1966-71." in Preserving the word(Library Association, 1987)
[注10] Horton, Calolyn. "Saving the Libraries of Florence" Willson Library Bulletin, June 1967.
[注11] Ogden, Sherelyn. "The Impact of the Florence Flood on Library Conservation" Restaurator, vol.3, 1979.
[注12] Ogden, Sherelyn. ibid.
[注13] Poole, Frazer. "Some Aspects of the Conservation Problem in Archives" The American Archivist, vol.40, 1977.
エンキャプシュレーション法については『容器に入れる---紙資料のための保存技術』(日本図書館協会発行、シリーズ本を残す3、1991年)を参照。
[注14] Waters, Peter. "Phased Preservation; A Philosophical Concept and Practical Approach to Preservation." Special Libraries, vol.81, No.1,Winter 1990.
[注15] 「Ⅰ. 容器に入れる----紙資料の保存と利用のために」、『容器に入れる---紙資料のための保存技術』1991年、日本図書館協会発行 シリーズ「本を残す」3。
[注16] Sung, C. H., Leonov, V. P. and Waters, P. "Fire recovery at the Library of the Academy of Sciences of the USSR." The American Archivist, Vol.53, No.2, Spring 1990.
[注17] Waters, Peter. "The Florence flood of 1966 revisited." (ibid.)
[注18] イズミ・K・タイトラー「Bodleian Library における資料保存について」 『早稲田大学図書館紀要---特集・図書館における資料保存』第32号、1990年3月。
[注19] Clarkson, Cristopher. "Priorities in Book Conservation 6: Priorities in Book Preservation" In The Conservation of Library and Archival Materials and the Graphic Arts, Ed. Guy Petherbridge, Butterworth 1980.
「書物のプリザベーションに求められるもの」として金谷博雄により翻訳され『ゆずり葉』24(1984年12月発行)に掲載された。
[注20] Clarkson, Cristopher. "The Conservation of Early Books in Codex Form: A Personal Approach: Part 1", The Paper Conservator, Vol.3, 1978.
「書物保存論 1~4」として金谷博雄により翻訳され『ゆずり葉』32~34(1985年8~11月発行)に掲載された。
[注21] 木部徹「表紙は外れたままでよい---貴重書の修復と資料保存」、コデックス通信、第3巻3号、1990年3月発行、も参照。
[注22] メアリー・バーグマン「書物の保存専門家になるまで 1」、CAP:本の保存のための海外ニューズ月報、 Vol.2, No.6, 1988年1月。
[注23](木部徹抄訳)「コロンビア大学の教育プログラム」、CAP:本の保存のための海外ニューズ月報、Vol.2, No.5, 1987年12月。
[注24]ニコラス・ピックウォード(木部徹訳)「保存製本とはなにか」、コデックス通信、第2巻2号、1987年9月。
原文は Conservation Bindig として、 F.W. Ratcliffe がまとめた Preservation Policies and Conservation in British Libraries: Report of the Cambridge University Library Conservation Project, Library and Information Research Report 25, British Library, 1984. に掲載された。ピックウォードもロジャー・パウエルの弟子。現在はフリーのブック・コンサベーターとして、ナショナル・トラスト(National Trust)からの仕事を主に活躍している。
[注25] ダブリン・トリニティ・カレッジ図書館における資料保存活動を知る次の2つの文献がある
Duffin, Elizabeth. "Conservation: we CAN afford it." Preservation policies: the choices. Proceeding of a seminar at York University 28-29 June 1989. National Preservation Office, British Library, 1990.
タイトルに象徴されるように、着実に進展している資料保存計画の現状を述べたもの。環境制御(窓からの光、内部の照明、ホコリ、火災・水害などへの対策)、蔵書への手当て(無線綴じの本の事前製本、ブックシュー、箱とフォルダー)、有益な文献の紹介、利用者の資料の扱い方---等。
Sheehan, Paul. "A Condition Survey of Books in Trinity College Library Dublin." Libri. vol.40, No.4, 1990
ダブリン・トリニティ・カレッジ図書館が所蔵している 1840年から1939年までに出版された本の用紙の劣化状況の調査報告。耐折強度、破裂強度、厚み、pH をそれぞれ調べた。最も劣化がひどいものは1860年代に集中しており、この年代の本の 16%がブリトルだが、全体としては、英国図書館やイエール大学の同種の調査による結果と比べると良好な状態が保たれている。これはトリニティの蔵書が、暖房がない環境下に長く置かれたためとという。pH値と、耐折強度と破裂強度との間には相関関係があり、耐折強度と破裂強度とにも相関関係が確認されたとしている。
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