近代紙資料の保存と修復技術 - 新聞資料を中心に -
木部徹 2009/9/28
※以下は2009年9月17日に開催された(社)新聞協会主催・資料管理講座における著者の講演「紙資料の保存方法と修復技術 - 長期保管のための実践法」の概要である。ここに掲載するにあたって表題を上記のように変更した。
1. 紙資料の保存修復とは?
紙を媒体とした記録資料(以下、紙資料)に対する保存修復処置というと、例えば虫やカビに侵された墨書き文書への手作業での「繕い」を思い浮かべるでしょう。
こうした処置は紙資料が出現した古代から行われてきました。しかし、和紙を基材とした資料と、19世紀の中頃から表れた近代の紙を基材にした資料は、使われている紙も、その上のインクなども全く異なっています。
前者は楮、三椏、雁皮が基材、その上に墨というように「素性が正しい」のに比べ、後者は「素性が怪しい」。多様な紙×多様なインク等々=正体が掴めない。さらに、蒟蒻版や青焼きのように時を経るとともに記録そのものが消えていくものもあります。最も危機的なのが感熱紙で、これに記録された公文書が山ほど有り、すでに文字が消えているものが出てきています。

詳しくは東京大学経済学部資料室の → このページで
しかし、なんといっても大きな違いは、媒体の紙そのものの脆弱さです。
3. 書庫の臭いの正体は?
古い書庫に入ったときに感じる特有の臭い、あのちょっと酸っぱい臭気はどこから発生すると思いますか? あれは有機物である紙が時を経ると老化し、分解するときに発する「老化臭」で、各種のVOC(揮発性有機化合物)から成り立っています。
英国図書館の新聞書庫では年間1.4トンものVOCが発生しています。VOCは紙が劣化し、壊れつつあることを意味していますが、とりわけ近代の紙資料の崩壊は顕著です。
4. 和紙は千年、洋紙は百年---なのか?
一般に「和紙は千年、洋紙は百年」と言います。たしかに、正倉院に伝わる紙資料は1,000年の時を経てなお、白さや丈夫さを保っているものあります。
しかし紙を作る技術がヨーロッパに伝わった13世紀から18世紀ごろまでの洋紙は、和紙に負けない丈夫さを今でも保っています。
ところが19世紀の中頃から作られた洋紙は、ほんの50年前のものでもほとんど瀕死のものが出ている。500歳の紙よりも50歳の紙のほうが老化が激しい。これは何故なのか?
5. 近代の洋紙の劣化 --- 酸性化と酸化
理由は19世紀の中頃に、紙の製法が根本的に変わったためです。それまでは人の衣服を原料にした繊維の長いボロ紙が主だったのが木材パルプ紙になったこと、漂白剤等の、繊維を傷める各種の薬品が導入されたことなどが挙げられますが、決定的だったのはサイズ剤(滲み止め)の定着剤として硫酸アルミニウムが使われたことです。強い硫酸が紙の中に徐々に生成し蓄積され、これが触媒になって紙のセルロースを加水分解して破断し(下図)、また、潤滑油としての水分を紙から奪うことで角質化が起こりました。
また、「不純物」であるリグニンが入った新聞紙のような紙は、酸化により茶褐色になり紙力が低下します。
酸性化と酸化の結果、めくるのも困難な本や文書が世界中の図書館やアーカイブに膨大に残されることになりました。
書庫で発生しているVOCは酸性化と酸化という分解反応が、以下のような循環でエンドレスに続いていることを証明しています。
さらに、原資料の代替物として作成されてきた酢酸セルロース(TAC)ベースのマイクロフィルムにも、ビネガー・シンドロームが発生しています。フィルム書庫や棚の酸っぱい臭気はその証明です。この代替技術の導入時期から推して、日本ではこれから最も危機的な状況を迎えます。

詳しくは、安江明夫「ビネガー・シンドローム問題再考 -- マイクロフィルムの保存のために 」
6. 保存と修復から見た近代紙資料の特徴
資料保存と修復という観点からの近代の紙資料の特徴をまとめると、以下の通りです。
まず、酸とリグニンという内部要因による劣化が進行している、次に、紙の上のインクなどのイメージ材料が褪色し、情報が消滅しつつある資料がある、そして最後に、量が膨大で、なおかつ現在も増え続けている --- 。このような近代資料を保存し、後世に残してゆく方法はあるのでしょうか?
7. 近代資料の保存の方法---治す、防ぐ
近代資料の保存のための方法には次の3つが挙げられます。
治す
防ぐ
取り換える
「治す」とは、傷んだ現物を修復して保存すること、「防ぐ」とは傷みそうな現物を傷みが広がらないように安寧な環境を形成して保存すること、「取り換える」とは現物からコンテンツだけを取り出して別のメディアに保存することですが、なによりも肝心なのは、3つの方法を、バラバラにではなく、組み合わせて使うことです。
まず、新聞資料を対象にした「治す」処置を紹介します。
しかし、「治す」処置を全ての新聞資料に適用することは現実的ではないのはいうまでもありません。手間もお金もかかりすぎる。やはり別の方法も選択肢に入れるしかない。「治す」と「防ぐ」と「取り換える」を組み合わせた事例を紹介します。
「1995年1月16日~31日付け 神戸新聞への修復手当て」
また、酸性紙問題の解決策である大量脱酸性化技術も、以下の二つの方法が実用化されています。
8. 資料保存のためのデジタル化と協力
そして、3つの方法の最後の「取り換える」ですが、これはデジタル技術の利用を考えないことには今後一歩も進みません。資料は「利用されてナンボ」です。そしてもしその資料が、現物として利用が困難なほど紙が劣化していたり、インクが褪色してきているとすれば、いち早く中身を、すなわちコンテンツを抜き出して、別のメディアに移し、利用に供することを優先するべきです。少し前までは大量に「取り換える」ための唯一の方法がマイクロフィルム化でした。現在ではデジタル化であることは論を待ちません。新聞に例をとっても、欧米では国家計画として以下のような、歴史的な新聞のデジタル化とインターネットでの公開が大規模に進んでいます。
北欧デジタル新聞図書館 (TIDEN)
英国新聞1800-1900年プロジェクト (British Newspapers 1800-1900 Project:BN)
フランス国立図書館(BnF)の取り組み:歴史的な日刊全国紙のデジタル化計画
全米電子新聞プログラム (National Digital Newspaper Program:NDNP)
こうしたプロジェクトを支える考え方の要点は、歴史的な新聞はもはや公共財であること、可能な限り誰でも、どこからでもアクセスできて、しかも低廉にすること、重複してデジタル化しないための書誌コントロールが必須なこと、したがって国の機関が中心になり、所蔵機関(新聞社等も含む)が相互に協力して進めることだと考えます。
9. 結論:これからの紙媒体資料の保存の枠組み
治す = 現物としての価値が高いものに絞る
防ぐ = 現物を究極のバックアップとして選別、保管環境を整備して安寧に保管する
取り換える = 所蔵機関の相互協力のもとでのデジタル化とインターネットでの公開
繰り返しますが、この3つの方法を、バラバラにではなく、組み合わせて適用することが肝心です。
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