柳宗悦 手仕事の国 (抄)
「手仕事の日本」(昭和21年)から
貴方がたはとくと考えられたことがあるでしょうか、今も日本が素晴らしい手仕事の国であるということを。確かに見届けたその事実を広くお報らせするのが、この本の目的であります。西洋では機械の働きが余りに盛で、手仕事の方は衰えてしまいました。しかしそれに片寄り過ぎては色々の害が現れます。それで各国とも手の技を盛返そうと努めております。なぜ機械仕事と共に手仕事が必要なのでありましょうか。機械に依らなければ出来ない品物があると共に、機械では生まれないものが数々あるわけであります。凡てを機械に任せてしまうと、第一に国民的な特色のあるものが乏しくなってきます。機械は世界のものを共通にしてしまう傾きがあります。それに残念なことに、機械はとかく利益のために用いられるので、出来る品物が粗末になりがちであります。それに人間が機械に使われてしまうためか、働く人からとかく悦びを奪ってしまいます。こういうことが禍いして、機械製品には良いものが少なくなってきました。これらの欠点を補うためには、どうしても手仕事が守られなければなりません。その優れた点は多くの場合民族的な特色が濃く現れてくることと、品物が手堅く親切に作られることであります。そこには自由と責任とが保たれます、そのため仕事に悦びが伴ったり、また新しいものを作る力が現れたりします。それ故手仕事を最も人間的な仕事と見てよいでありましょう。ここに最も大きな特性があると思われます。仮にこういう人間的な働きがなくなったら、この世に美しいものは、どんなに少なくなって来るでありましょう。各国で機械の発達を計ると共に、手仕事を大切にするのは、当然な理由があるといわねばなりません。西洋では「手で作ったもの」というと直ちに「良い品」を意味するようになってきました。人間の手には信頼すべき性質が宿ります。
(中略)
そもそも手が機械と異なる点は、それがいつも直接に心と繋がれていることであります。機械には心がありません。これが手仕事に不思議な働きを起させる所以だと思います。手はただ動くのではなく、いつも奥に心が控えていて、これがものを創らせたり、働きに悦びを与えたり、また道徳を守らせたりするのであります。そうしてこれこそは品物に美しい性質を与える原因であると思われます。それ故手仕事は一面に心の仕事だと申してよいでありましょう。手より更に神秘的な機械があるでありましょうか。
(後略)
底本は『柳宗悦全集』著作篇第十一巻(筑摩書房、1981年)。
蛇足:アーカイバル容器は創る手が必須です。一方、コンサベーションは基本的に、モノを創らない。しかし「反復的な受動性」が生み出す悦びは同じではないかと思うときがあります。創らない手仕事にも、柳の言う手の、つまりはヒトの、「根源的な可能性」が潜んでいるようです。(木部)
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