スタッフのチカラ

【抄訳】書物のプリザベーションに求められるもの

1984年クリストファー・クラークソン , 金谷博雄 抄訳

大きな図書館や文書館では、ますます増える”読めない書物”の山に職員が苦戦を強いらる一方で、保存のための予算は行政当局によりあまりに低く抑えられ、収集費には及ぶべくもない。書物を傷めやすい安易な展示は奨励されるが、環境条件を整えるなどのためには何もされようとしない。

変わりゆく利用、いな酷使、そして広範な資料分野を移ろいゆく重点主義のために、鮮明な決定や均整のとれた方針は阻害される。しかし、各地の機関をまわっていつも気づくのは、間違った方針がつくられていることと、あわててつくられる計画の多いことである。職員のためには、彼らが自館のプリザベーションとコンサベーションの活動のどこにおいて積極的貢献ができるかがわかる、鮮明な方針が立てられなくてはならない。

大きな図書館には、基本的に二つの機能がある。第一は、非常に広範かつ最初の参考図書館としての役割であり、第二は、書物の博物館としてのそれである。ほとんどの場合、経済・職員訓練・機能は前者に向けられ、後者の役割は認知されないに等しい。だが、国の財産や遺品の多くは後者と切り離せない関係にあるのであって、両者の間に区分の曖昧さや重複部分があるとはいえ、図書館資料のこの二つの部分を分離することは合理的なことである。各々の部分の職員には、本質的に異なった訓練・姿勢・素養が要求される。現在のような混在化した事態は、何が重要かの判断に際し混乱を深め、書物を傷めるだけである。

明らかに価値のある書物を環境的に安全で安定した部屋なり建物に別置する際に、特別設計の調度で保管するという考えは、長年の間(特にアメリカで)行われてきた。私はこの考えを現状よりも遥に多くの資料に適用し、さらには、プリザベーションを最優先して時折の個人的利用は第二とするシステムに連動させるべきだと申し上げたい。こうした方針転換により、少しでも資料の長もちが図られ、現状のような私的で利己的な利用は改められるであろう。

今日多くの図書館で複雑な分析機器が導入されており、研究者にとっては大きな恩恵となっている。しかし、注意を要するのは、機器は実験用の環境条件で、訓練された職員が操作するのでないかぎり、簡単に現物に物理的損傷を与える危険のある点である。紫外線、ベーター線透視、顕微鏡などの装置も良いが、安全を確保するには、特別設計の部屋や資格をもった有能な職員が必要である。もちろん、ひら置き用書架、広い机、書見台(平らでなくV字型の)なども用意しなければならない。

「プリザベーション」とは、物理的・化学的損傷防止の意味で私は使う。この語は私にとって、図書館生活のあらゆる諸相を意味するもので、真の意味での「ザ・ライブラリー」に等しい。目録や検索のいかに高価な設備といえども、またいかに知識に富む職員といえども、図書館資料に害をなすものなら、それらは何者でもない。図書館資料—すなわち「情報」であって、それは内容としての「情報」であると同時に、(時代的資料の場合)物質的な資料自体(および付帯物)総体のもつ情報である。プリザベーション—予防医学—は、図書館を使う人、そこに働く人すべての関心事である。コンサベーターとしての私は、自分自身をこの広大な仕事の小さな一部分でしかないと考えている。「コンサベーション」は、もろくなった時代的資料の安全を図り、あるいはある程度まで利用可能にする特定の作業を私は言う。そうした資料の管理に関する知識や助言もそれは含む。「レストレーション」は私にとって、時代的資料が将来のさらにきつい利用に応えられるよう行われる、広範な作り直しや、現代の素材による部分的取り替えを言う。まとめてみれば、レストレーションは大きな改変を、コンサベーションは最小限の改変を意味し、プリザベーションは何の改変も意味しない。レストレーションとコンサベーションとの間の曖昧なところを明確にするためには、主要な違いはその「意図」ならびに技術・知識の大きさ(「最小限」やもっとも簡潔な対応を講ずるためにはいつも要求される)にあるということができよう。ここで少なくともイギリスでは、用語上の混乱が見られる。たとえば公務員では、「レストラー」は「コンサベーター」より高い位置にある。もちろんこれは誤った用語法でしかなく、私たちの歴史浅い職業の開拓期とそれ以後においてこの二語がどう使われてきたかに照らせば、そのことはわかるはずである。その代弁者ともいうべき国際文化財保存修復学会(IIC)では、レストレーションは大きな取り替えを意味し、その仕事は後の時代や文化による解釈でしかないとの考えを採っている。

コデックスは多数の分離可能な構成物から成っている。折丁・製本・金具・止め具などである。だが、これらはまとまっていてはじめて、歴史的関心と理論的証拠の無数の機微を形成し、時代的様式や由来をさし示すのであって、もし分離してしまったら、その意味を失い、人類の思想を呼び出す力をなくしてしまう。書誌学上の完結性とは、人が取りはずしたり、作り直したりできるものではない。こう見れば、個々の巻の完結性には、その巻のもっとも脆弱な部分と同じほどの力しかない。絵画では、たった一色が褪せても画家の意図は永遠に改変させられてしまうように、完結性は断片化してしまう。本文と製本がそのままに残されていれば、書誌学の発展には測り知れない価値が存在する。反対に、レストラーによるいかなる侵害行為もそうした価値を減ずる。にもかかわらず、資料の安定と継続的なプリザベーションを確保するためには、一定のコンサベーションとレストレーションを施さねばならない。ここに、大きな、ディレンマが生じる。

コンサベーターの仕事がいかに巧みで分別のあるものであっても、時代的資料にある種の改変が起こることは認めなければならない。その改変の度合は、コンサベーターの判断—将来の利用と書物のもろさについての—に大きく左右される。コンサベーターや製本者の仕事の評価は、彼らの「ブリーフ」や館の設備・哲学・方針をまず考慮に入れてから下さなくてはならない。たとえば、製本者の逸脱や不当なレストレーションを批判するのに、製本者が館の姿勢や許容範囲の反映にすぎないのであれば、批判は何者も改善することはできない。図書館資料の管理者との意思疎通で私がもっとも大きな開きと思うのは、彼らには蔵書のもっている物理的要求に対する理解がまったく欠けていることである。最近のひどい環境条件・貸出展示・写真複製などで国宝が永遠に損なわれた実例は、おそらく私たちの誰もが知っていると思う。大きな美術館と大図書館との間には、審美観・鑑定眼・安全・プリザベーション・コンサベーションの質に驚くべき差異がある。大美術館で貴重視されるものが、大図書館でまったく無視されることがある。私が特別関心を持っているのはイギリスのロマネスク製本だが、この製本がここ二十年のうちに破壊されてきたことを皆さんはご存じだろうか。それはうっかりとか知らずにではなく、多くは現代の図書館での風習に合わせようとの善意から起こっている。そうした製本は美術館や個人コレクションに少数ある場合の方が、ずっとよいプリザベーションの状態にあるのを私は知っている。長年仕事をしている職員と話してみても、イギリスではこの二十年間で事態は明らかに異常な悪化を示している。

こうしたことがなぜ起こるのか—各館の方針にプリザベーションが主要な柱として据えられなかったということのほかに。ひとつには、職員ならびに伝統的図書館施設が、物質的対象としての書物研究に対応できないという事情がある。昨今ますます高まりつつある古写本学・書誌学への関心も、大きな書庫や訓練計画をあわてさせるに十分である。閲覧室に行けば、資料がどうなっているかを見ようとして文字どおり引きちぎってしまう利用者がいる。そういうことが今は日常的に起こっている。典型的な例として数週間前に私の見つけた一人の利用者は、十七世紀ペルシャの稿本の一葉をつまんで(その他の部分は何も支えず)窓に高くかざしているのであった。資料が傷むのを言おうとして私の驚いたのは、彼の見せてくれたレポートがかつてない労作で、十八ページにわたりぎっしりと疑問点があげてあり、彼によればそのすべてに自分で答えを出したのだという。そこには極めて高度なコンサベーターや設備に恵まれた分析化学者でなければ正解できないようなものであった。こうした天真爛漫を人は笑うであろうが、ご当人は自分の大学の先生に勧められ、ヨーロッパ中のある種の稿本を研究するため多額の助成金を獲得しているのだという。こうした素人の個人的努力は、特にそれが資料をだめにしてしまうことを考える時、一体どれほどよいことなのであろうか。大学教授や研究助成機関は、いかに無責任か。各種所蔵機関との密接な協働すら考えられないのである。

ここにもまた私の言う「資料意識」を欠いた人々による資料の被害がある。ドロシー・ハートレーが鮮やかに説いているように、六十年前まではこうであった。

彼らの知力とは、土に根ざした常識であった。(一方)私たちの知識の多くは間接的なもので、言葉で「事実として知っている」という時も、それは知識のうちの確実な一部分のことでしかない。これに対して、わが原基人間たちの「知っている」ものはすべて「事実」そのものであって、したがって、彼らの物に関する知識は私たちよりずっと深い。現代の女性は亜麻布の一裂を見る。しかし、中世の女性は、それを通して亜麻の畑を見、亜麻を漬ける池の臭みを嗅ぎ、亜麻を櫛でほぐす時のいらだちを感じ、そして、つややかな亜麻のやわらかい輝きを見た。獣を—おそらくは自分自身をも—見た。そして、屠殺、石灰漬け、防腐処理などの仕事をしっていた。

The Land of England, London, 1979, p.5

今日のコンサベーターと六十年ほど前の人々では、「時代的資料」への対応と理解、そして使われる技術において大きく隔たっているが、資料を扱うおかげで、何らかの共通基盤を存在しえている。だが、現代の行政担当者や図書館教育を受けた職員には、資料を見る目にそうした共通基盤はない。事実、完璧な無理解だらけである。将来にわたる訓練には根源的な改革が必要で、それは直ちに実現しなければならない。

職員の訓練にはむずかしさがある。たとえば製本だけをとってみても、現在のヨーロッパの製本観を十八世紀ヨーロッパや異文化の書物におしつけるのは誤りである。製本におけるヨーロッパの新しい伝統を、考えなしに適用することで、世界中の文化財はおびただしい損害をこうむってきた。

プリザベーション、コンサベーション、レストレーションの指針の確立は急務だが、情報の収集は科学者、書籍コンサベーター、学者の十分な研究に基づかなけ ればならない。そこで必要となるのは、単一の学際的用語体系・方法論・枠組である。また基本用語のほかに、資料の材質や構造上の偏差などむずかしい概念の やりとりのためには、写真・標本抽出・作図・映画などの手段も必要となろう。こうした計画が着手されるなら、この専門分野は”物質的対象としての書物”の 情報バンクに支えられて発展しよう。ボドレアン図書館(オックスフォード)では、物質的書物研究のための参考業務をコンサベーションのためのそれに連動さ せ(両者は同一のものだから)、これをコンサベーションのための調査・準備の中心に据えたいと願っている。資料の正しい理解には、三様の専門家が要る。理 論家(美術史家・キュレーター・書誌学者など)、コンサベーター、分析化学者である。各々は互いに助け合い、共通の倫理観をもたなければならない。均整の とれたプリザベーション・コンサベーション計画には、三者のいずれもが極めて重要である。

この知識の糾合にあたりむずかしいのは、製本者やコンサベーターが特定の書物のどの側面が将来の研究に重要なのかを予測しようという時である。同時に、専 門的判断を下すコンサベーターにはどんな情報が必要かということもむずかしくなってくる。あらゆる芸術的作品の場合と同じように、多彩な素材・技術を使っ た初期の書物には、慎重な個別的研究と検討が当然必要である。その際、指針や哲学を書店・収集家・図書館員にあおぐことはできない。彼らはまれな場合を除 けば、歴史や書誌学への感受性よりも、取引や行政上の知恵に長けている。だから、レストレーションと再製本による書物の被害が少なくない。売り物・使い物 となるための彼らの基準とは、昔も今も、「良」から「極美」までの形状である。この姿勢から、一番安上がりに「きれいにする」ことが行われてきた。書誌学 上の遺産にとっては、災難とはこのことである。私たちはしばしば専門家として頼りにされるが、必要な処置、処置の影響、他に考えられる方法などの情報を はっきりと提供することは、たしかに私たちの道義的責任である。将来の皆の利益のために蔵書を護るという所有者・管理者の責任感を、私たちがつくり出すこ とは緊要である。

時代的資料については、取り扱い法・保管法の教育的内容の一新と、利用者への厳しい監視がぜひ必要である。各種の計画は、レストレーションや再製本よりも、こうした領域にこそ向けられるべきである。現在のような景気退潮期には、職員や訓練施設が十分に得られるとは望めない。

最後に、今関心のあるいくつかのシステムに触れておきたい。安定した清浄な環境の他に、図書館・文書館資料用の物理的保護用品が必要となる。多様な問題に対処するには、保護手段の包括的システムが重要である。すなわち、商業的に作られるものには、永久的保存用のブックボックス、四方畳紙、しっかりした封筒(いずれも西洋、東洋の書物・紙の大きさに正確に合う物)、さらには、一枚物資料を納める錠つきルースリーフ・カードブックで切り込み式爪見出しのあるもの、などがある。市販されていず個別にあつらえるものには、工夫した帙から貴重書用ブックボックスまで、一連のボックス収納計画がある。別の範疇に入るものに運送用ケースや木枠があり、他の建物へ移す時などに使う。貸出展示用のケースは特に注意を要する。保護システムは、その館の書架形式、展示ケース、壁枠などにできるだけ合わせる。

計画の図書館協力(大量購入)で原価を下げることは大いに検討に値する。それは製造業者にとっても魅力のあるもので、永久保存箱やガードブック(各葉ののど側に”枕”をつけたファイル)ばかりでなく、V字型書見台(展示用も含め)、展示ケース、運送用ケース、ひら置き用書架などにも言える。場合によっては、美術館との間で寸法の標準化を測ることも必要である。

保護対策を進め計画を一新する一方で、コンサベーションの調査は非常に必要である。この調査情報は、行政と資金集めに必要な事実と数字を与えるだけでなく、コンサベーターを有効に使い、資金の収集・利用の資金を有効活用するための問題整理にも必須である。また、均整のとれた研究計画・職員訓練・施設活用なども必要である。コンサベーションと歴史に関する調査記録は、標準的な電算情報システムに連動させる。

訓練された職員は今日極めて少数なので、コンサベーション・写真撮影・展示法などの分野では各機関の専門家同士の協力と交流が望まれる。

本稿は、Cristopher Clarkson “Priorities in Book Conservation 6: Priorities in Book Preservation”, The Conservation of Library and Archive Materials and the Graphic Arts,(1980, p.153-156の概要。


抄訳の初出は『ゆずり葉』 24 (1984/12), 386-393。ここに掲載するにあたっての変更は、初出にあったIIC(International Institute for Conservatin)の日本語訳名と、縦書きを横書きにしたこと。

上記の論文の内容をより深めた論文も抄訳されている。「書物保存論 1~4」として金谷博雄により翻訳され、『ゆずり葉』 32~34(1985/8~11)に掲載された。原文は Clarkson, Cristopher. “The Conservation of Early Books in Codex Form: A Personal Approach: Part 1″, The Paper Conservator, Vol.3, 1978. → BCIN

デジタル化入力・校正:沢崎文恵

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