スタッフのチカラ

和紙のフォクシング
– 異なった場所に保管されていた同じ見本帖 『手漉和紙』 (昭和44年)を比較する –

2010年04月8日蜂谷伊代

保管環境が異なるところに置かれていた同じ和紙見本帖( 計4冊 )の特定の和紙に発生したフォクシングの形態を調査・比較し、同一の和紙であっても環境の違いによって発生の有無、その形態の違いが出てくることを確認した。

1.フォクシング形態の研究の経緯

フォクシング(foxing)とは、日本においては“星”とも称される、経時した紙の上に生じるきつね(fox)の毛の色の着色物や茶褐色の斑点のことを総称したもので、絵画・文書・書籍における代表的な劣化症例の一つである。その発生原因については、過去に様々な調査研究が行われ、現在は金属起因説、微生物(カビ)起因説、もしくはその組み合わせなどが挙げられている。未だ結論は出ていない研究途上の課題ではあるが、発生要因を知るための指針となるのが形態分類であり、1984年に発表されたCainとMillerによる論文 “ Proposed Classification of Foxing ”が基本的な分類法として現在でも活用される(注1)。また、その後にアメリカ文化財保存修復学会(AIC)が作成した“Paper Conservation Catalog”においても形態分類が説明されている。しかし、どちらも文章のみによる表記なので形態のイメージがしにくい。このような現状を受けて平野は、画像でフォクシングを記録、形態を分類するとともに、新たに見つかった形態のフォクシングに関する研究を発表し、フォクシングのイメージ化に貢献している(注2)。

2.対象資料

今回、調査の対象として選んだのは竹尾洋紙店発行『手漉和紙』(1969年、昭和44年)である。日本各地の和紙(208種+追補:神札紙1種)を集めた初の見本帖で、1.000部限定で出版された。和紙は約28×39.5センチメートルにカットされ、連番を附されたそれぞれの和紙を康煕(こうき)綴じした本体と、巻き型布帙とで構成される。紙の種類、産地、製造者が明記されている。また製造年代も、ほぼ出版時と推定できる。

当時、紙の博物館館長を勤めていた成田潔英は序文の中で、当時竹尾洋紙店社長竹尾栄一に見本帖制作の相談を受け、実に三年の歳月をかけて日本各地から和紙を収集、『この空前絶後の珠玉』を完成させたと述べている。内容は手漉き和紙実物見本のほか、製紙の歴史から手漉き和紙の製法、越前奉書製作保持者として人間国宝に認定された故八代目岩野市平衛、同じく人間国宝で雁皮紙制作保持者の故安部栄四郎などが寄稿している。

p1 p2 p3 p4

 

以下の4箇所に保管されてきた4冊(A~D)を比較した。

A弊社(資料保存器材)蔵:弊社で1987年に購入したもの。

B弊社蔵:2009年に古書店で購入したもの。保護のための茶ダンボール製箱入り。

C国立国会図書館蔵:おそらく出版時(1969年)時に納本されたもの。

D国立劇場伝統芸能情報館蔵:収蔵時は不明。

いずれの見本帖にも複数の和紙にフォクシングが発生しているが、帖全体としての発生度(フォクシングの数、広がりの程度など)を良~否として比較すると以下のようになる。国会図書館蔵が最も良好に保たれている。

C(国会図書館蔵) > D(国立劇場蔵)、 B(弊社2009年購入) > A(弊社1987年購入)

3.形態の比較方法

対象Aの弊社蔵見本帖の発生箇所の和紙サンプル(約1センチ角)を採取し、フォクシングの形態ごとに①~④の4つに分類した(注3)。また、対象Aから、同じ形態分類に入るサンプルをそれぞれ、別のページから複数採取し、①-1、①-2…という枝番をつけた。そしてそれらと他の3つの見本帖(B、C、D)の同一和紙のフォクシングを比較した。

p5 p6 p7 p8

 

【フォクシング形態分類】

該当番号は、見本帖に附された連番

形態①:中心に濃い点、周囲に薄茶色の染み

該当番号:52、147

 

形態②:濃い点状で周囲がぼやけている

該当番号:148、198、36

 

形態③:①のような中心点が無く、②よりも輪郭がはっきりしている

該当番号:128、152

 

形態④:雲型、薄茶色で広範囲の染み

該当番号:142、200、追補:神札紙

4.比較結果

表1

フォクシングの比較結果(注:B,C,Dの画像はAからの同種のものを撮影し掲載している。該当番号の下に原料を記した)

A:弊社蔵

(1987)

B:弊社蔵

(2009)

C:国立国会図書館 D:国立劇場

伝統芸能情報館

52

(楮)

①-1 中心の濃い点が無く、周囲がぼやけている(②に近い) 中心の濃い点が無く、周囲に広がりが無い(③に近い) 上辺に④が混在 中心の濃い点が無く、周囲に広がりが無い(③に近い) 上辺に④が混在
147

(楮)

①-2 中心の濃い点が無く、周囲に広がりが無い(③に近い) 中心の濃い点が無く、周囲に広がりが無い(③に近い) 中心の濃い点が無く、周囲に広がりが無い(③に近い)
148

(楮)

②-1 ④の雲形と混在 Aに比べて細かい Aに比べて細かい
198

(楮)

無し
②-2 ④と混在 ④に近いものが僅か Aと同じ
36

(楮)

②-3 Aと同じ Aと同じ Aと同じ
128

(三椏)

③-1 Aと同じ Aと同じ Aと同じ
152

(三椏)

③-2 Aと同じ Aと同じ Aと同じ
142

(楮)

④-1 Aと同じ ③に近い ③に近い
200

(楮)

無し
④-2 ②と混在 ③に近い
(追補)

神札紙

(楮)

ほとんど無し 無し ほとんど無し
④-3

 

表2

紙表面全体のフォクシングの発生状況

A B C D
①-1
①-2
②-1
②-2
②-3
③-1
③-2
④-1
④-2
④-3

◎…多数 ○…少数 △…ごく僅か 無表記…無し

5.考察とまとめ

①の形態は、結果的に帖全体として一番状態の悪いAの見本帖にのみ確認でき、他のサンプルのフォクシングを見ても①に相当するものは見られなかった。A(画像p1の上のもの)は1987年に古書店から購入しものだが、画像を見てもわかるように帙の布の変色が著しく、本体の和紙も、購入時にすでにフォクシングが発生しており、状態は良いものではなかった。比してBは、同じく古書店から2009年に購入したものだが、保護用の茶ダンボール外箱で全体がくるまれており(画像p2)、状態は良い。

②、③の形態は、紙の違いによるものでほぼ同じ性質であろうと予想し、結果はABCDのどこで保管されていたものも同じ形態のフォクシングが発生していた。その発生範囲はほぼ紙全体というものが多く(画像 p9,p10)、他のページには渡らず一枚の紙単独に発生していること(画像 p11,p12)や、紫外線照射の結果蛍光反応が得られなかったことなどから、この分類のフォクシングは金属起因が有力だと考えられる(Owen, Antoinette et al. 1992吉川 也志保, 木川 りか, 関 正純 2009)。

p9 p10 p11 p12

 

一方、紙の周辺から内側に向かっていくフォクシングは、大気中の有機酸や水分が影響していると言われ(Matt Roberts, Don Etherington 1981)、箱も無くむき出しの状態で本棚に積まれていたAは、空気に曝されている箇所のフォクシングが特にひどく、影響が顕著に現れていた。

p13 p14 p15 p16

 

Bについて、過去の保存環境は不明ではあるが、酸性紙の段ボールとはいえ箱に入っていたために、Aよりも状態が良かったとも考えられる。また、図書館の空調管理のもとで保管されてきたCDについても同様である。

④の雲形のフォクシングについてはAに良く見られるが、BCDではあまり発生していないことから、この形態のフォクシングは保存環境に関連していると考え られる。ただし、①-1についてはCDで④が混在している( 特に、むき出しで空気に触れ易い小口付近 )ことから、必ずしも環境だけの影響ではないだろうが、他のサンプルでは見られなかった状態であることも考慮しなければならない。

今回の調査のポイントは、保管環境が異なるところに置かれていた同じ和紙という点である。そして同一の和紙でも環境の違いによって発生の有無、その形態の違いが出てくることが確認できた。フォクシングの要因が金属起因説、微生物(カビ)起因説等々のいずれにしろ、高湿度による過剰な水分の存在によって、フォクシングだけでなく紙の劣化も促進される。今回の結果を見ても、適切な相対湿度環境に保管することがフォクシング予防になると推測できる。また、まだフォクシングが発生していない紙については、相対湿度50%以下で保管することが良いとされている(Matt Roberts, Don Etherington 1981)。また、Bの場合は、段ボールの容器に入っていたことで、湿度変化等の緩衝になり、影響を直接受けることなく比較的良い状態だったと考えられる。ただし、段ボールからは有機酸が発生しているのが匂いで確認できた。幸い、見本帖はさらに帙に包まれているためか、酸の影響はまだ見られないようだった。ちなみに、ABそれぞれのサンプルのpHを計測した結果、AのpHが若干低かった(表3)。

 

表3

A, BサンプルのpH

52 147 148 198 36 128 152 142 200 追補:

神札紙

A:弊社蔵(1987) 4.5 5.0 4.7 5.8 5.5 5.0 4.7 5.0 5.0 5.3
B:弊社蔵(2009) 5.8 5.5 5.5 5.8 6.1 5.5 5.5 5.8 5.5 6.1

参考文献

Matt Roberts, Don Etherington (1981) foxing, Bookbinding and the Conservation of books: A Dictionary of Descriptive Terminology, Library of Congress

Owen, Antoinette et al. (1992), Foxing, Book & Paper Conservation Catalog 13

竹尾洋紙店企画室編 (1969), 手漉和紙

平野はな子 (2008), フォクシングの形態分類法の考察および修復処置に関する研究, 東京藝術大学大学院 平成20年度博士学位論文

吉川 也志保, 木川 りか, 関 正純 (2009), 昭和初期和紙の褐色斑からの真菌分離および蛍光に関する報告, 保存科学 No. 48, 199-205

マーガレット・ヘイ著 増田勝彦訳 (1987), 紙本の漂白-その簡単な化学と作業工程(Ⅰ), 古文化財の科学 第32号, 100-105.

 

注1

Eugene, C. Cain, Miller, B,A.. Proposed Classification of Foxingの原文は、 AIC Book and Paper Groupe Annual (Vol.1, 1982)に掲載された。現在は同GroupeがまとめたBook & Pape Conservation Catalog のFoxingにほぼ全体が紹介されている。

注2

平野の研究ではさらに、実際に6点の作品に対してフォクシング緩和・除去を目的とした修復処置も行なった。使用した薬剤や処置方法に関する記述の他、修復後のフォクシングの状態を観察し、その処置効果を比較している。また、調査対象となった83点の中には洋紙だけでなく、海外に所蔵されている和紙作品60点近くが含まれ、形態ごとの発生率の傾向や、繊維分析結果、製紙業の変遷も踏まえたフォクシング発生要因について述べている。

注3

CainとMillerの方法で紫外線光下でも観察を行い、分類分けの参考にした。CainとMillerの方法によると、分類を行った形態①、②、③は同じ分類に入り、さらに細分化しても②、③は同じものとされているが、今回は和紙に関する調査ということで別の分類とした。

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