今日の工房 2018年

週替わりの工房風景をご覧ください。毎日こんな仕事をしています。

2018年3月08日(木)フィルム・ エンキャプシュレーションの現在(3) ガス吸着シートの同封が開く新しい可能性

9.  大英図書館の新聞資料は年間1.4t の VOCs を出している

 

保管環境内の汚染ガス対策が紙資料の劣化を抑制することは古くから指摘されていたが、資料自体から発するガスを再び資料が吸着し劣化をもたらすことが広く注目されるようになったのは近年になってである。なかでも英国図書館が2009年に発表した「新聞資料の保管庫内の新聞から発生するガス」の問題は、明快な数値で示したこともあってか、同種の資料を持つ機関に衝撃を与えた。曰く、英国図書館の新聞資料を並べると、棚長は33km、重量は5,300t、そこから発生するガス(VOCs 揮発性有機化合物)は年間 1,4t、放散させ消滅するのには3,800年かかる(画像①)。

 

フィルム・ エンキャプシュレーションでは、この書庫内のような大きな環境と同じことがフィルムの間で生じていることになる。しかも、放散しない密閉環境では、酸性ガスは凝縮されて強い酸になる。これを除去するにはどうすれば良いのか?

 

 

10.  フランスの研究機関CRCDG、ガス吸着シート MicroChamber®︎と同封で抑制効果

 

酸性紙をエンキャプシュレーションをする際に、Shahaniが実証したように、フィルム内で発生するガスをアルカリ性の本文紙が吸着するならば、吸着性能のより高いものを採用すれば、劣化抑制効果は一層高くなるのではないか?

 

これに取り組んだのがフランスの国立紙資料保存研究センター( CRCDG: Centre de recherches sur la conservation des documents graphiques) のFloréal Danielらの研究チームである。Daniel らは、汚染ガスを吸着する MicroChamber®︎に着目した。

 

MicroChamber®︎は 米Conservation Resources International が1992年に製品化したもので、大気中の亜硫酸化物や窒素酸化物などを吸着して、紙焼き写真や文書の変色を抑制できる新しい素材として注目された。ガス吸着材としては活性炭が一般には知られているが、MicroChamber®︎は微細なゼオライト粉の持つ分子ふるい機能(molecular sieve)を紙に担持させたものだ。これまでの吸着材の100倍以上のガス吸着力を持つとされる。MicroChamber®︎は文化財の保存のための革新的な材料として用途開拓が進み、美術館・ 博物館むけの板材 ArtCare®︎もその後開発されたことで、世界的に市場が広がった。

 

Daniel らはまず、Shahani が採用したアルカリ性の本文紙とMicroChamber®︎シートの吸着性能を比較して後者の圧倒的な優位と、フィルムのガスバリア性により外部からの汚染ガスの侵食が無いことを確認し、4種類の紙(ろ紙=コットン紙、酸性紙、弱アルカリ性本文紙、MicroChamber®シート)を亜硫酸化物と窒素酸化物を含む環境下に晒したのち、これをエンキャプシュレーション処置をし、強制劣化後のそれぞれの紙のセルロース重合度の変化を見た。その結果、酸性紙は予想通り重合度の低下が著しいことを再確認した。また、密閉環境下では中性のコットン紙(ろ紙)も自ら発するガスによる劣化は免れないものの、MicroChamber®紙と同封したものは、重合度低下の抑制効果が確認された(画像②  グラフ線上から、エンキャプしない元の紙、弱アルカリ性紙同封、MicroChamber®同封、同封なし)。さらにMicroChamber®シートは下敷きのかたちで接しておらずに近接していても、同様の結果が得られるという新しい知見を明らかにした。

 

 

11.  当社の現在の取り組み— 汚染ガス吸着シートGasQをエンキャプシュレーションに

 

当社は一枚ものの紙資料を安寧に保存・ 利用できる方法として、エンキャプシュレーション技術をいち早く導入した企業である。その後も、ここに紹介してきたような海外での研究の進展を怠りなく見守り、実用上問題ないと判断したものは積極的に取り入れてきた。また、エンキャプシュレーション処置をする酸性の資料については、水性および非水性の脱酸性化処置を封印前に行うことを必須としている。

 

ただ、酸性紙であっても、アルカリ性の炭酸カルシウムやマグネシウムを紙に与える脱酸性処置はしないという資料はある。資料に使われているインクなどのアルカリ耐性が不明で、その確認試験もインクなどを変色させるかもしれない場合だ。また設計図面などに多用されてきた青写真も、基材の紙の酸性度は高いが、アルカリ処置は画像面の変色をもたらすことから、御法度とされている。

 

こうした資料へのエンキャプシュレーションの適用を可能にするのが、MicroChamber®︎に代表されるガス吸着材の同封だ。当社では2012年に汚染ガス吸着シートGasQ®︎を開発・ 上市した。分子ふるい機能を持つゼオライトがセルロース内で高密度に結晶化しており、従来品のようなゼオライト粉体の脱落はなく、シート表面もザラつきがない。接触する資料への影響もPAT等で確認している。肝心の吸着力も、紙の劣化時に最も多く発生する酢酸を例にとると、当初100pm が60分後には1ppmにまで低減する。

 

両製品とも現在、応用開拓に取り組んでいるが、その一つがエンキャプシュレーションへの導入(画像③〜⑥)である。これまでならば封印前の脱酸性化処置に躊躇するような資料へも下敷きとして適用できる。また、上述した Daniel らの研究が述べるように、資料に接しなくて近接していても効果があるならば、下敷きではなく、GasQをフレームのように資料を囲むかたちでエンキャプシュレーションすれば、両面に情報がある資料にも適用可能である。

 

 

12.  エンドユーザー自らがエンキャプシュレーション処置ができる

 

もうひとつの応用の可能性が、エンドユーザー自らがエンキャプシュレーションする際のガス吸着材としての採用である。図書館やアーカイブズ、あるいは美術館・ 博物館が自ら実施したいと思っても、これまでは限界があった。脱酸性化処置ができる機関は限られているし、フィルムの端のシール法も、現在ではスタンダードな方法である高周波溶着機を導入するのは、予算やマンパワーの上で難しい。結局は、当社のような外部の業者に任せるしかなかった。

 

しかし、ガス吸着紙の同封という方法ならば、あらかじめ2辺(L字)、あるいは1辺だけをシールしてあるエンキャプシュレーション用フィルムを購入すれば、自館ですぐに着手できる。L字型なら他の2辺、1辺なら他の3辺は開封されているが、Shahani が指摘しているように、辺が開封しているか否かは関係なく、発生するガスはフィルムの間に行き渡るのだから、ガスを吸着するものと一緒に封印すれば良い。

 

なお、画像⑦ は酸性の本文紙とろ紙とGasQと共にエンキャプシュレーションし、そのまま加速劣化させたもののフィルム内部の酸性度をAD(acid detective)ストリップで測ったものである。GasQの優れた性能がお解り頂けると思う。しかし、GasQ®︎は市場に出したばかりの製品であり、確かな基本性能とは別に、応用分野でのデータの蓄積はスタートしたばかりだ。当社では社内でできる簡易な試験とともに、外部の専門機関への委託試験も数多く行なっており、今後適時、その成果を発表し、お客様のより確かな信頼を得たいと考えている。

 

(終り)

 

 

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5.  開発者の米議会図書館(LC)は「脱酸は必須」と。だが劣化の加速は?

 

酸性劣化した資料をそのままエンキャプシュレーション処置すると、滞留する酸により、劣化が加速するのではないか?

 

この疑念はマニュアル発表前から指摘されていた。LCのマニュアルでも「事前に脱酸処理することの必要性」、「資料の劣化速度に対する影響」という項目があり、前者については「もちろん然り」で、「非常に長期に現物を残したいというならば、封入する前に必ず脱酸して弱アルカリ化すべきである」。しかし後者の「資料の劣化速度」については、封印したものはわずかに耐折強度が低下するというデータもあれば、初期の耐折強度が低いものでは逆の結果になるといったデータもあった。

 

 

6.  くしゃくしゃに潰す実験をすると— 資料の傷みは利用時にこそ注意

 

だが、封印した紙としない紙との比較は単純ではない。ラミネーション法もエンキャプシュレーション法もそもそも、剥き出しでは扱いに支障がある一枚ものの資料を傷めずに扱いやすくするのが眼目だ。例えば両者の資料としての利用時の損耗を考慮すると、封印した資料の方が、利用時の扱いによる物理的な強度への影響は、剥き出しの資料へのそれよりも、はるかに小さいだろう—マニュアルではそう説明している。

 

事実、エンキャプシュレーションしたものへの外側からの物理的な衝撃に対する保護力は驚異的だ。画像①はMiami University Library の Encapsulation の HP に掲載されているものだ。これは「くしゃくしゃに潰す実験」(A demonstration of crumpling brittle paper)と称されている。紙の端を1、2回折り曲げるだけで破断してしまうような極端に劣化した本文紙を封印し、これと封印していないものをくしゃくしゃに潰す。その結果はご覧の通り。封印しない本文紙は完全に破断してしまうが、封印したものは、破れこそ生じるが、破断してバラバラになることはない。ちなみに弊社での同様の実験でも同じであり、ほぼ元の形を保った本文紙、封を開けて取り出すことができた。

 

この物理的な強靭さの付与は、LCのマニュアルでも強調されているが、さらにこのマニュアルで重要な事は、酸性劣化で耐折強度が極端に低下したものへの脱酸処置は、悪い影響こそ無いが、ほとんど無駄という指摘だ。なぜならば脱酸処置は紙力を回復させるものでも付与するものでもなく、アルカリ物質を紙中に入れることで酸の侵食を抑え、劣化していてもなお残っている紙力を、現状以下にはさせない処置だからだ。

 

また、むき出しの状態での資料は、ガス状の汚染物質が保管環境中にあるとすれば、絶えず、しかも長期にそれらに晒されて吸着する。一方、エンキャプシュレーションされた資料は、ガス遮断性の高いフィルムによって、外部からの汚染ガスをシャットアウトできる。この影響の差は、実験室での劣化試験では比較検証できない。

 

 

7.  LCの試験では、 やはり「封印したものは劣化が早い」と結論

 

とはいえ、LCの「事前に脱酸処理することの必要性」、「資料の劣化速度に対する影響」に関する説明は、十全に納得できるものではない。マニュアルは即、現場で導入できることを目的にされたためか、以上のような試験の内容の説明も結果データの提示も充分ではない。保存科学に携わる研究者にすれば不満の残るところだし、エンキャプシュレーション法を現場に導入した図書館やアーカイブズも、よりしっかりとした裏付けを待ち望んだのも当然だろう。

 

1995年にLCの保存科学者 C. Shahani が “Accelerated Aging of Paper: Can it Really Foretell the Permanence of Paper” を発表した。この論文は、それまで紙を対象に繰り返し行われてきた数々の強制劣化試験の妥当性(それらの試験結果は、紙が通常環境に長期に置かれた場合の寿命を正しく予測できるものなのか)を根本的に問い直し、「紙の未来予測」が可能な新しい試験法を開発することを目的としていた。この研究は、国際共同プロジェクトとして約10年を費やし行われた。経時劣化した本文紙を、この紙の組成どおりに、しかもこの紙を製紙したのと同じ製紙機を使って作り、両者を強制劣化して比較するという、これまでにない徹底したものだった。ここで開発・ 採用された強制劣化試験法は2008年にISO(国際標準機構)規格になった。この研究の一環として Shahani が行ったのが “Aging of Paper Sealed within Polyester Film”である。

 

Shahani は、紙の酸性劣化とそれによるガスの生成は非常に長期に渡って起こり、これはフィルム封印された内部でも同様で、しかも濃縮されて酸性度が上がった酸がセルロースの加水分解をもたらす触媒になり、紙の強度低下をもたらすとし、フィルム封印は劣化を加速させると結論した。そして、これを防ぐには、やはり事前の脱酸が不可欠とした。この結論は、新しい知見というよりも、当初から言われてきたことの根拠ある裏付けといえるだろうが、この論文で注目すべきは、酸性紙と一緒にアルカリ紙を封印した場合の劣化抑制効果である。

 

 

8.  アルカリ紙を下敷きで同封すると劣化抑制が顕著に

 

Shahani は、試験サンプルとして当時の書籍用本文紙として使われていた Splinghill Offset®️を選び、そのまま、脱酸処置したもの、そのままを四方シールしたもの、そのままを二方シールしたもの、そのまま+弱アルカリ性本文紙(Permalife®️)の4種のサンプルを90℃、RH50%で強制劣化し、封印したものは取り出し、最大25日間の耐折強度の変化を調べた。

 

結果は画像②の通りである。あらかじめ脱酸処置したもの(◇)は劣化抑制効果が高く、なにも処置をしない剥き出しの酸性紙そのまま(○)は18日間程度で劣化したが、酸性紙を封印したもの(□)は5日間程度で急速に劣化した。これらは予想の範囲であるが、注目すべきは、二方だけシールしたもの(△)の劣化は四方シールと同等、そして、アルカリ紙を同封したもの(▽)は 、脱酸処置したものには及ばないが、顕著な劣化抑制効果が認められた。

 

二方だけフィルムの端をシールする方法(L字エンキャプシュレーションと呼ばれる)は、他の二方の端は開いているのだから、ここから劣化ガスは抜けるのではと思われてきた。しかし Shahani によると、生成するガスは、四方、二方に関係なく、抜けないで全体に行き渡るという。

 

しかし、それ以上に、ある意味で朗報と言えるのは、アルカリ紙の下敷きを同封する抑制効果である。これは、ガス吸着性がより優れた下敷きの採用、そして水性の脱酸処置が不可能な資料、アルカリを直接付与すると影響が懸念される資料(例えば、設計図面などに使われる青写真 blueprint)へのエンキャプシュレーション法の適用の可能性を開いた。

 

(続く)

 

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2018年2月21日(水)フィルム・ エンキャプシュレーションの現在 ⑴ なぜこの技術が必要とされ、広く普及したのか?

1.  それは70年代のアメリカ議会図書館から始まった

 

劣化して紙力が低下した一枚ものの紙資料を、透明なフィルムで挟み、フィルム周辺を閉じて資料を封印する。これがポリエステル・ フィルム・ エンキャプシュレーション法(polyester film encapsulation)と呼ばれるものだ。1970年代後半にアメリカ議会図書館(LC: Library of Congress)により開発され、今なお盛んに用いられている資料保存技術である。

 

膨大な量の劣化した一枚ものの資料を所蔵するLCは、この技術を開発する以前までは、、ライニング法(lining)やラミネーション法(lamination)、すなわち薄葉紙や絹のガーゼでの、裏打ち(lining)や表打ち(lamination)、あるいはアセテートフィルムを資料の両面に熱で貼り付けるラミネーション法で対応していたが、熟練した職人技や専用設備が必要なことで、適用範囲は限られていた。

 

特に1930年代から、それまでの薄い絹のガーゼでの表打ち(silk lamination)に代わり、米国内や英国で多用されてきたアセテート・ フィルムによる両面ラミネーションは、1947年には、アメリカ独立宣言のためにトーマス・ ジェファーソンが書いたドラフト文書など極めて貴重なものにも適用されてきたのだが、この抜本的な見直しが急務とされた。セルロース・ アセテート・ フィルム自体の劣化と発生する酢酸の影響への懸念、全体の歪みの発生、熱で貼り付けたフィルムの剥離が難しいことなど、60年代になると、困難な問題が表面化してきたためだ。

 

当時、LCの修理と保存部門を牽引していた F. Pooleは1974年に”Current Lamination Policies of the Library of Congress.” として、 LCはそれまでの多用してきたアセテート・ フィルムによるラミネーション法を完全に放棄して、これに代わる新しい「紙の強化技術」としてポリエステル・ フィルム・ エンキャプシュレーション法の開発に取り組んでおり、近くその成果を明らかにできる、と告知した。

 

 

2.  議会図書館のマニュアルの刊行と啓蒙そして普及

 

そしてその言葉通り、LCのPreservation Officeは1980年に小冊子“POLYESTER FILM ENCAPSULATION” を出版した。特定の透明なフィルム(Dupont社のポリエステル・ フィルム Myler®︎)で資料を挟み、フィルムの四方を閉じるだけというこの技術は、従来法のような熟練者や専用設備を必要としない簡便さ、強靭なフィルムにより物理的な劣化の激しい資料の紙力を強化できる、もし利用時に不用意な扱いを受けたとしても資料を保護できる、透明なフィルム上から資料の両面にアクセスできる、広い範囲に広がっていない裂けや破れならば補修せずにそのまま封印できる等々の利点が評価された。また、方法のネックとされた周辺の封印を何でやるか、という問題も、品質の確認されたポリエステル・ フィルム製両面粘着テープ(3M社のScotch 415®︎)が推奨された。簡潔な説明と、解りやすいイラスト付きの30頁足らずのマニュアルの公表後は、ポリエステル・ フィルム・ エンキャプシュレーション法が瞬く間に欧米の図書館やアーカイブスに普及していった。

 

非常に短期間にこの技術が各国の機関で採用された理由は、もうひとつある。可逆的(reversible)な技術であることだ。その背景には、これまで「修復」(restoration)という名の下に、元と寸分違わず復元できたという出来上がりの見栄えを優先させた処置への反省がある。その修復処置なるもの自体が原資料の持つ歴史的な価値を損傷していないのか、将来共に安定を保証できるような科学的なエヴィデンスのもとに、使用材料の選定も含め、行われているのか—。とりわけ、ある時点で適応された技術に後々問題があるとわかった場合に、資料を損傷せずに元の状態に戻せるかどうかという、可能な限りの「可逆性の保持」という条件は、資料保存技術を考える上でのポイントになった。この点で、フィルム・ エンキャプシュレーション法は、四方のフィルムの端をカットすれば元の資料をそのまま取り出せる。可逆性は100%保証されている。

 

 

3.  日本での紹介は80年代央、普及は酸性紙問題が後押し

 

この革新的な保存技術が日本に紹介されたのは1984年である。件のマニュアルの抄訳「ポリエステル・ フィルム封入法」として「ゆずり葉」(1984年9月号)に発表された。ただ、当時の日本では、「ひどい傷みの一枚ものの修理は和紙で裏打ち」が通念だったこと、ポリエステルという「化学」材料を、資料に直接触れるように使うことへの抵抗などが相まって、普及はしなかった。

 

しかし80年代末からの、いわゆる酸性紙問題への注目が後押しする形で、この新しい保存技術が注目されるようになった。特に酸性劣化した、あるいはしつつある近現代の一枚ものの紙資料、わけても比較的大きなサイズの地図や図面などの歴史資料の安寧な保存策として着目された。私どものような近現代紙資料の修理を事業のひとつとする業者も積極的に啓蒙と実践に努め、徐々に資料保存機関に受け入れてもらえるようになる(ちなみに私ども株式会社資料保存器材は日本で最初にポリエステル・ フィルム・ エンキャプシュレーションを事業化した企業である)。日本の機関でも、東京都立図書館が館内に導入しており、また龍谷大学が貴重な古文書の長期保存法として採用したと報じられている

 

 

4.   良いことづくめに見えるが、一番の問題は劣化ガスも封印されること

 

こうみるとポリエステル・ フィルム・ エンキャプシュレーション法は「良いことづくめ」の保存技術に思えるかもしれないが、問題はある。紙とは比較にならない質量が付与されるから、元の資料の何倍も重くなる。基本的に平たい状態で保管せねばならずスペースを取る。資料の質感がわからなくなる—。ただ、こうした「問題」は、この技術を採用する限り、不可避的に伴うものなので、如何ともしがたい。

 

それよりも、ポリエステル・ フィルム・ エンキャプシュレーション法の最大の問題は、酸性資料の劣化に伴い発生するガスも一緒に封印してしまうことだ。ガスの遮断能力が著しく高いポリエステル・ フィルムは、保管環境などの外部から来る汚染ガスから資料を保護する。だが一方で、経時劣化に伴い資料内部から発生する酸性の揮発性ガス(VOCs)は内部に滞留する。それは資料に悪い影響を及ぼさないのか?  しかもこの酸性ガスは逃げ場がないのだから、フィルムの間で凝縮され、紙の酸性劣化を加速しないのか?

 

 

(続く)

 

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2018年2月14日(水) 薄いQlumin くるみん®︎やGasQ  ガスキュウ®︎を綺麗にカットしたいなら、OLFAロータリーカッターLL型がお薦めです

ロール状に巻かれて、あるいは定型に裁断されて弊社から販売される新薄葉「 Qlumin くるみん®︎」と汚染ガス吸着シート「GasQ  ガスキュウ®︎」を、自分で希望のサイズにカットして使っているが、スッキリと綺麗に切れない。なにか良い方法はないだろうか?  お客さまからこんな質問がたびたび寄せられます。

 

カット時に「引切りする普通のカッターではヨレてしまう」、「ハサミでは切り口がガタガタになって美しくない」。両製品ともに薄いがゆえの、カット時に頻出する症状です。

 

そんな時は、OLFA®社の円形刃の中でも、ロータリーカッターLL型をお勧めしています。円形刃のためヨレもズレも起こりにくく、また、直径60ミリで一度に進む距離が長く、アッと言う間に綺麗なカットが可能です。また、ワンタッチで刃を出し入れ可能で、安全面においては、これまでのカッターと同じ感覚で使用できます。

 

ちなみにOLFA社は純国内メーカー。社名の由来は「折る刃」から。1956年に世界で初めて商品化しました。切れ味の良い刃を、刃先を折り取るだけで連続して得られるという、刃物を扱う私どものような職人仕事に、まさに革命をもたらしてくれたメーカーです。

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2018年2月7日(水)スタッフの健康を守るために、 有機溶剤などの化学物質、粉塵・ カビなどへの対策の一環として、防塵・ 防カビマスクを一新しました。

私たちの修理工房では、カビや微細な粉塵が付着した資料を至近距離で扱うことがよくありますが、それ以上に、有機溶剤を使用する場面も日常的にみられます。例えば、図書館などでもカビのクリーニング作業にエタノールを使用することがあるかと思いますが、これが危険有害性のある化学物質(640物質)の一つであることはご存知でしょうか。エタノールは使用量が少量であっても、急性中毒や、長期間の使用により体内に蓄積されることで臓器の障害や慢性中毒につながりかねません。アセトンやベンゼンなどのシンナー類ならばなおさらです。

 

 また、汚れの付着した粉塵やカビをドライクリーニングする場合も、作業者がそれらを吸い込むことによる健康被害や、作業中の周囲への拡散にも気配りが必要です。

 

そこで私どもの工房では、作業者の健康を守るために防塵・ 防毒マスクを装着しています。溶剤を使う作業期間中ずっと顔に装着している重く息苦しいマスクは、繊細な手作業時の装備としては、その使用がつい億劫になりがちですが、2016年6月にリスクアセスメント対策の実施が義務化されたことは記憶にも新しく、溶剤を日常的に使用する私どもも、こうしたリスク対策も積極的に取り入れていかなければなりません。

 

今回はその対策の一つとして、従来品よりもより軽量で視界が制限されにくいタイプのマスクに装備を一新しました。カートリッジは防塵・防毒一体型のタイプで、処置に使用する有機溶剤に対応する十分な性能を持ちます。用途ごとのカートリッジの取り替えの手間も省け、これまでよりずっと使いやすくなりました。

 

 

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「簡易ドライクリーニング・ボックス」

スタッフのチカラ「資料に付着した汚れやカビのドライ・クリーニング」

化学物質等安全データシート(SDS)

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2018年1月31日(水)【文献紹介】 水没した電子記録媒体の復旧はどこまで可能か? 最良の乾燥法は? 保管の3-2-1 ルールとは?

水漏れや洪水や火災時の消火により、水を被ってしまった記録物の救助の要点は記録媒体内の中身(データ)がどこまで復旧できるかである。しかし、本や文書などの紙媒体ならば、現在ではある程度の復旧の予測は可能だし、その方法も決まっているが、フロッピーディスクや磁気テープ、CDなどの光学ディスク、USBカード等々の電子的な記録媒体については未だ充分な知見がない。

 

本稿 “The Soaking Resistance of Electronic Storage Media”(Restaurator, Vol.38, No.1, 2016)は、こうした電子媒体を、清浄な水道水、腐蝕物を含む汚水を真似た水道水(塩化ナトリウム、塩酸を混入)、海水を真似た水に6つの異なる期間(1日から28日)浸し、データの復旧がどこまで可能か、また必須の復旧法である乾燥はどの方法が有効かを研究したものである。

 

それによると清浄な水道水を被ったものならば、大半の媒体が復旧できたが、一部のCDやVHSテープでは問題が生じた。だが、汚れた水道水や擬似海水では電子媒体の復旧は更に困難になる。光学ディスクのデータのダメージの程度は、媒体の元々の製品品質にも大きく依存することも分かった。

 

乾燥法としては、一度清浄な水で洗浄後に、風乾法(風を当てながらの自然乾燥)で乾かすのが最良である。風乾後もそのまま2日ほど放置し、完全に乾いてからデータのダメージを確認する。冷凍乾燥法および真空冷凍乾燥法はCDやDVDも破壊してしまうので絶対に避ける。

 

乾燥は水没後48時間以内に着手するのが原則だが、それができない場合には、清浄な冷水(5 °C)に浸しておいた方が劣化の進行を顕著に防げる。媒体が泥など汚れている場合は、そのまま乾かすと汚れが強固に付着してしまう。これを物理的に除去すると媒体を傷める。冷水に浸しておくことで汚れの固着も防げる。

 

電子媒体の保管は3-2-1ルールに従う。すなわち、3つの複製物を作り、このうち2つは異なる種類の媒体に移す。残りの1つはオフサイト(前記の2つが保管されている場所と離れた別の場所)に保管する。

 

 

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2018年1月24日(水)「文化財の長期保存のためのアーカイバル容器」を掲載

「文化財の長期保存のためのアーカイバル容器」を弊社サイトのスタッフのチカラに掲載しました。これは、日本包装学会が発行する機関紙『日本包装学会誌』の最新号(Vol.26, No.6, 2017)の特集「文化財の包装・梱包・輸送」に寄稿したものです。文化財と接触あるいは近接する「包材」に焦点を置き、保存箱の素材や品質、機能だけでなく、それぞれと密接な関係を持つデザイン設計、構造など、製造過程の一端を解説しています。また、他企業と協力し開発した文化財保存向け機能性包材も紹介しています。

 

なお、同号では文化財の梱包技術や国際輸送時の包装に関する研究の現状など、これまでとりあげられることのなかった「包装技術」が文化財にどのように応用されているのかを、具体例を織り交ぜて解説されており、大変興味深くかつ有意義な内容となっています。

 

■ スタッフのチカラ「文化財の長期保存のためのアーカイバル容器」 島田要

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2018年1月17日(水)【文献紹介】国際原子力機関(IAEA)が『文化財保存のための放射線の利用』を刊行

 医療機器や衛生用品などの滅菌に使われている放射線照射技術の文化財への応用の現状をまとめた USES OF IONIZING RADIATION FOR TANGIBLE CULTURAL HERITAGE CONSERVATION (有形文化財の保存のための電離放射線の利用)が、このほど国際原子力機関(IAEA)から刊行された。この分野での初の、学際的かつ国際的な研究成果報告といえる。

 

γ線などの電離放射線をカビや虫のいる物体に照射・ 侵入させると、電離作用により、カビや虫のDNAの二重らせん構造の鎖切断(放射線の直接効果)が生じる。また、生体中の水も電離されてOHラジカル等が生じ、これらのイオンとラジカルの反応でDNAに不都合な塩基等が生成されるのがDNA塩基損傷である(放射線の間接作用)。結果的にカビや虫が死滅する。

 

本書は、世界の原子力関連科学者、技術者、生物学者、保存化学者が博物館・ 美術館等と協力し、滅菌・ 殺虫の原理と科学的な根拠の解説とともに、各国(オランダ、ルーマニア、フランス、ブラジル、ポーランド、ポルトガル、クロアチア、ブラジル、チュニジア)での、木、紙、皮革、ウール、絹などでできた様々な文化財や、エジプトのミイラ、マンモスの幼児などの考古資料などへの応用事例を紹介している。

 

USES OF IONIZING RADIATION FOR TANGIBLE CULTURAL HERITAGE CONSERVATION
IAEA Radiation Technology Series No. 6、241 pp.; 92 figs.; 2017; ISBN: 978-92-0-103316-1, English, 50.00Euro

PDF 版(無料)

 

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2018年1月11日(木)「新薄葉紙 Qluminくるみん」を発売しました。

「薄く」「強く」「新しい機能を持たせた」、文化財保存のための薄葉紙を開発しました。

 

◆新薄葉紙「Qluminくるみん」の特徴

 

・紙の両面がなめらかで、紙資料にかぎらず、デリケートな美術工芸品や考古資料、木製品、金属製品などの保存に最適です。

 

・文化財保存包材のための国際的な品質確認試験PAT(ISO 18916:2007 Photographic Activity Test )合格品です。長期に接触していても安全であることを確認しています。

 

[※] 写真活性度試験=Photographic Activity Test:包材が及ぼす化学的影響を測り、写真包材として適切かどうかをPass(合格)、Fail(不合格)という形で明確にすることができる試験。

 

・弊社製品、汚染ガス吸着シート「GasQ®ガスキュウ」の機能性素材『ゼオライト結晶合成パルプ繊維』を配合しており抗菌性とガス吸着性を併せ持ちます。

 

・坪量 12.5g/㎡ | 厚さ 25㎛(0.025mm) | 平均pH 6.8 | MADE IN JAPAN

 

 

◆販売形態と価格

 

・ロール品:幅1,100mm×200m巻:13,000円
・L版断裁品500枚包装品:800mm×1,100mm :26,000円

 *別途消費税8%及び梱包輸送費を頂戴いたします。

 

◆新薄葉紙 Qluminくるみんリーフレット

 

https://www.hozon.co.jp/shr/img/archival/product_other_4/Qlumin_leafret.pdf

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2018年1月10日(水)傷みやすい本の背の天地のヘッドキャップの修理

洋装本の背表紙天地に、庇(ひさし)のように被さるヘッドキャップ(headcap)と呼ばれる箇所の修理。ヘッドキャップは、表装の革をそのまま折り込んで作る場合と、革紐や糸やこより等を芯材として、これを表装材で本体の背と背表紙の間に巻き込んで作る場合とがある。芯材を巻き込む形は特に、本体と表紙と背表紙の接合の補強や、本の開閉に対する補強などの役割がある。

 

書棚から本を出す際の指掛けによるダメージや、出し入れの際の擦れ等により、ヘッドキャップが損傷あるいは欠損することが多い。処置としては、本の大きさや重量に適した素材や太さのヘッドキャップの芯材を用意し、オリジナルの表装材の色に馴染む色に染めた和紙にでんぷん糊を塗布して巻き込む。強度も必要だが、本の開閉に合わせて動く柔軟性も必要なため、糊の加減や和紙の巻き込み加減など、注意する点が多い。

 

 

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メトロポリタン美術館「壊れやすいヘッドキャップと蔵書の扱い方」

学習院大学図書館様所蔵「家族会館寄贈図書」資料に対する保存修復処置事例

立教大学図書館様所蔵 洋装貴重書に対する保存修復手当て

シリアス染料による補修用和紙の染色

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2018年1月4日(水) 明けましておめでとうございます。

謹んで新年のご挨拶を申しあげます。旧年中は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申しあげます。新年を迎え、気持ちを新たに当社も動き始めました。本年も相変わりませず、ご指導ご鞭撻を頂けますよう、心よりお願い申し上げます。また、皆様にとりまして良い一年となりますことをお祈り申し上げます。

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