スタッフのチカラ

ゲタのはきかた、あずけかた

2001年木部徹

初出:日本図書館協会資料保存委員会『ネットワーク資料保存』 65、2001

資料保存委員会の発足10周年記念号に拙文を、というご依頼です。委員会の前身の研究会から数えると15年です。酸性紙ならずとも有機物であるかぎり15年分は確実に経時劣化しておりまして、きっかけがなにであったか、記憶が定かでなくなっているのですが、ともあれ、ただの本好き・製本好きが、それまでの図書館の多用な仕事に組み込まれるべき新しい仕事としての「資料保存」に当初から関われたこと、中心になって努力してこられた方々のサポーターの一人として、ささやかながら商いまでできるようになったことを嬉しく、誇らしく感じております。おそらく委員会発足20周年のときの私の劣化レベルは very brittle(一回折り曲げると破断する)になっているでしょうが、まだ少し紙力ならぬ知力の残るいま、商いをするヒト=業者として思うことを書いてみます。

 

1. 私にはわかりません

業者としての私の仕事は傷んだ現物資料の修復と、現物資料を安寧に長期保管するのための容器(アーカイバル容器)の作成ですが、10年ほどこれらの仕事をやってきて、度々行き当たる同じ問題があります。

少しく具体的に述べます。お客様によばれてうかがい、資料が目の前に置かれます。酸性紙で紙力が極端になくなっていたり、虫が食っていてぼろぼろになっていたり、カビが一面に生えていたりと、傷みの原因や状態はさまざまですが、だれが見ても「傷んだ資料」です。で、問題はそのあとです、たいてい決まっての質問が、「どうすればいいでしょうか?」

問われた私は「私にはわからないのです」と答えるしかありません。いや、決して冗談ではなく、傷んだ資料を修復したり、資料を安寧に長期保管する小環境を提供することで口を糊する私は、つまり修復等のプロである私は、しかし、傷んだ資料を「どうするのか」、まったくわからないのです。なぜか!?

 

2. 三つの輪

資料保存の方策を選ぶための決定樹(ディシジョン・ツリー)というのを自分なりに考えて発表したことがあります(注1)。なんだか難しそうな名前ですが、特定の資料があるとして、その資料はどのように保存してもらいたいと思っているのか、資料の本音(保存ニーズ)をひきだしてくると共に、それに見合った保存の方策を選ぶためのフローチャート形式の一覧表です。おかげさまで初出だけでなく、他のいろいろな媒体に転載されたり引用されたりしています。詳細は措くとして、資料の本音=保存ニーズを引き出すためには次のような三つの輪を重ね合わせたらうまくいくのではないか、そう私は考えました。

三つの輪のうち「モノとしての資料の状態」、すなわち物理的に、あるいは化学的・生物学的に、どのように傷んでいるか、傷んでゆく可能性があるか、それを掴むこと、その傷みを除いたり軽減してやること、これは私どもの方がお客様よりもずっと上手です。それでご飯を食べているプロですから当然です。

しかし他の二つの輪、「現物としての貴重さ」と「現物資料へのアクセスの頻度」、これについては私どもは皆目、分かりません。それでご飯を食べているのではないのですから当然です。

では、そういうことを的確につかむことでご飯を食べているヒト、プロのヒトとはだれでしょうか?

 

3. 図書館のゲタ

資料の修復に例をとります。ひどい虫食いがある、酸性紙で「触れなば折れん」、そういう資料であったとしても、その図書館にとっては現物としてまったく貴重ではなくて、現物としてのアクセスも皆無であるというのならば、極端にいうと捨ててしまえば良いわけです。あるいは、現物としては貴重ではないが、盛られた情報が貴重で、物理的に傷んでいて現物へアクセスすると傷みが広がり、いずれ盛られた情報も読みとれなくなるというのならば、他のメディアへ代替する、現物を捨ててしまうのが憚られるというのならば、何も手をつけずに安寧な保管環境の中に入れて保管するというのが現実的でしょう。現物として貴重で、代替物ではなくて現物にアクセスするしか情報が得られない、現物へのアクセスが度重なる、しかも傷みがひどいというならば、なにをおいても(お金が相当にかかったとしても)現物を修復するしかない—-と書いてくるとなにがなにやらになってしまので、それを一覧できないかというのが件の一覧表なのですが、三つの輪の中の二つはどうあっても図書館のヒトが判断するしかない、ここがポイントです。ここを押さえて、もうひとつの輪、つまり「モノとしての資料の状態」に重ね合わせることができれば、その資料を「どうするか」は自ずと導き出されるはずなのです。

ところがそうなっていない。一番大事な判断のゲタが私どものような業者にあずけられる。私どももまるっきりゲタをあずけてもらった方がおいしい商いになる、もっと言えば、ゲタをあずけてもらうように仕向けることさえある—-かくしてやらなくても良い「立派な修復」「立派な再製本」が際限なく行われてきたという歴史があります。

なぜそうなるのか?一般的な図書館の役目が資料の提供だとすれば、世界のあらゆる資料を蔵書として持つことが不可能である以上、ウチの図書館はどの資料をどのように提供したいのか、それぞれの図書館ごとに、いわゆる蔵書構築と管理の理念があるはずです。そのハズなのですが、どうもそれがハッキリしていないのではないか。だから—堂々巡りのようになってしまうのですが—目の前の資料をどうするか、捨てるのか、残すのか、残すとすれば現物としてなのか、代替物としてでもよいのか、治すのか等々、判断ができないものまたしかたがないのかなという気がします

ただ、ここが堂々巡りたる所以なのですが、それさえハッキリすれば、資料保存なんぞ楽勝~!という気もします、お金の問題はさておくとしても。

 

4. 業者のゲタ

業者は具体的な方策を売るのですから、方策についてできるかぎり知り、できるかぎり良いモノにしていく努力をするのは当然です。しかし勘違いしてはならないのは、資料保存は方策では、とりあえず、ないということです。あるいは、資料保存は技術ではないと言い換えてもよい。的確なニーズの判断と方策の選択、そう、「判断と選択」こそ資料保存であり、それは図書館のゲタなのだから、そのゲタを本来の持ち主から奪うことがあってはならないでしょう。ならば我々業者は正直に言うべきです、「私にはわかりません」と。

と、ここまではよいとして、この10年、では業者としての分限を守りながら、できるかぎり知り、できるかぎり良いモノにしていく努力をしてきたか。努力したとして、その成果を広く返していけたのか、と自分に問うてみます。心許ない。10年前の到達点からさほど進歩していない、成果があったとしても、後半の4、5年で食いつぶしてしまったのではないか。ゲタがすり切れてきたことにさえ気づかなかったような気がしています。

例えば中性紙の認識と普及です。酸性紙問題の浮上とともに、酸性紙ではない紙、劣化しない紙として中性紙が注目され、本の紙が中性紙になり、資料を入れる容器のための中性紙が開発され、中性保存容器が商品化され、酸性の容器からの転換が進み—と進展してきました。

たしかにこれは進展でしょう。しかし、よくよく考えてみますと、私たちは安心して使える中性紙の規格もいまだに持っていないのです。それが現状です。中性の容器の規格ももちろんない、その効果がどの程度なのか、それすら納得できるデータがない、単に、酸性紙ではなくて中性紙だから、それで作った容器だから、という理屈にならない理屈がまかり通った、いや、まかり通らせた、そんな10年ではなかったか。

大いに反省です。そこで、あと数年はかかるでしょうが、アーカイバル容器の専業メーカーとして、その効果のほどはいかがなものか、納得していただける根拠を提示したいと考え、着手しました。実は、世界的にも、さほど納得のいく根拠はなかったのですが、特にヨーロッパではいま、容器の効果についてのより厳格な根拠を求める動きがでてきています。私どもはそれと並び、できれば上回るデータを示したいと考えています。他ならぬこの分野で商いをさせていただく業者としての責任を果たすということです。

もうひとつ、昨年4月に発足させた資料保存協議会について。お客さんのほうの「資料保存」が、いまひとつ元気がなくなっているのかなと。そこで業際的なホームページ(注2)を立ち上げて関連する情報を発信するとともに、2月に一度のペースで資料保存のためのセミナーを開催しています。生身のヒトが持つ情報にしくものはないですし、元気なヒトに会うと元気がでるものです。セミナーへの参加資格は無し、しかも無料。気楽な会です、ゲタばき感覚でいらして下さい。

 

(注) 1.木部徹「利用のために保存する–公共図書館と資料保存」とりつたま 8、p.1-10(1992) 2.当初の予定通り、3年間の活動を終了した。

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