スタッフのチカラ

『画像保存のための生物学的知見』 平成22年度 画像保存セミナー 参加報告

2010年12月15日島田要

 

社団法人日本写真学会主催の画像保存セミナーが11月5日東京都写真美術館ホールで開催された。今回は、画像保存のための生物学知識、写真の保存と修復の活動、デジタル情報の長期保存コスト、デジタルデータのフィルム保存、映画フィルム復元およびデジタル復元における三色分解を用いた長期保存–など、広範囲なテーマがならんだ。

主なプログラムは以下の通り。

■講演1
Contributions of biological knowledge to protecting images in storage and treatment.

カナダ文化財保存研究所 保存科学上席研究員 トム・ストラング

■講演2
ヒューストン美術館における写真の保存と修復の活動

ヒューストン美術館 写真コンサヴァター 小関俊旭

■講演3
デジタル情報の長期保存コストに関する研究動向

国立国会図書館関西館 電子図書館課 村上浩介

■講演4
最新のデジタルレコーディング用フィルムとデジタルデータのフィルム保存への動き

富士フイルム株式会社 イメージング材料生産部 大関勝久

■講演5
映画フィルム復元の方法論とデジタル復元における三色分解を用いた映像の長期保存

?映画『銀輪』(松本俊夫、1955)の場合

東京国立近代美術館フィルムセンター 研究員 板倉史明

株式会社IMAGICA 映画本部デジタルプロセス部 三浦和己

このうち、トム・ストラング氏( Tom Strang )の講演の概要を報告する。

 

Dry, Cool, and Contained: Setting environmental limits avoiding biological damage. 
乾燥 涼しく保つ 包装:生物被害を回避するための環境的な制限の設定

微生物被害を防ぐには、できるだけ乾燥したところで、できるだけ温度が低いところで保管する、というのが一般的に知られている。文化財を襲う菌類や害虫などの有害生物による被害を防ぐために生物学的知見がどのように役に立つか、さらには環境的な制限を設ける事によっていかに生物的なダメージを防げるかをテーマに掲げた。

写真の保存に関して主な生物被害の原因となるのは、カビによる汚損と消化、害虫による染みや変色、ネズミのような哺乳類による被害である。これらの生物被害を、環境的な制限を設ける事によって防ぐ、という事が期待される。しかし制限を設けるといっても写真に使われる材料に絞り、研究がされたということがなかなかないため、どういった生物的なダメージがあるのか?制限の範囲はどの程度のレベルまで必要であるか?といったことは、一般的な文献や研究結果からヒントを得なければいけない。

過去にどのような研究が行われてきたのか、具体的なデータを示しながら環境的な制限のポイントとなる「乾燥、涼しさ、包装」についてそれぞれ述べた。

Lesson about '' Dry ''  乾燥とは?

生物的なリスクを考えると乾燥した状態とは、生物が生存できるほどの水分が欠けている事、と定義することができる。十分に乾燥していれば生物による被害のプロセスが遅くなり、DNA変性は起こらないと言えるし、何かが生き続ける確立は低くなる。被害の範囲を最小にするために博物館や建物の中でどういった環境設定するのか、というのが課題となる。

ではカビが発生するかしないかの境界線はどこにあるのか?

1920年~1940年の間に、いかにカビが影響を及ぼすのかについての調査・研究が行われている。研究対象となった食品・家畜飼料に対する実験結果は、写真感光材料を有害生物から保護するための対策を導き出すのに役立つ。

いくつかの対象物に対しての調査が行われており、その結果は写真においても同じような傾向が見られるため、カビの成長を予測するのに参考になるデータである。例えば卵の卵白を使った実験はアルブミンプリント、卵白と米でんぷんを使った実験はオートクローム(アルブミン+イモでんぷん)といったように写真保存にも同様に適用できる。

実験結果から、相対湿度55%というのがカビのDNAリミットであり、発生の絶対的な限界と言える。相対湿度が100%であれば、カビの胞子が発生するのに2日間かかり、相対湿度が下がれば発生するのに必要な日数は増えていく。つまり環境が乾燥していればカビの胞子の増加を抑制できる。カビの成長に関して予測できる要因というのは、「相対湿度」であるということ、そして物質が持つ「含水率」であると捉えることができる。

バクテリアの発生についてのリミットはどこにあるか?食品安全に関する調査や研究の結果を参考にすると、カビに比べ少し高い相対湿度が必要になるため、余程の事がない限り、博物館等では発生しにくい。カビの出現をおさえるための環境設定をすれば、必然的にバクテリアの発生というのも抑制できると考えてよい。

次に害虫の発生については、穀物貯蔵庫の研究データが参考になる。害虫の発生は湿度によってそれほど制御されないことがわかる。しかし温度や湿度が大幅に上下するような環境(例えば空調整備が整っていない古い建物)であれば、害虫が発生し行動が活発になる範囲というのも同等に広くなる。

Lesson on '' Cool '' 涼しさとは?

涼しいという事はどういう事か?生物が生き続けるほどの十分な熱がない、ということが一つの定義である。生物の代謝が遅くなるので危害を加えるような活動もできない、細胞についてもダメージが出てくるので最終的には致死する。しかし調査結果を見ると、摂氏20℃から40℃でカビの出現が見られ、相対湿度が60%前半にも関わらず、2年経ってカビが出現したという例もある。カビが発生するのに適した温度というのは20℃から40℃と幅広いものとなっているため、その発生と成長に関してコントロールするということであれば、温度の設定よりも相対湿度の方をコントロールした方が効果的であるといえる。

カビの発生は、相対湿度が100%という非常にじめじめした環境になると、温度が高い場合でも低温であっても発生している。4℃という冷蔵庫のような低温の環境であっても、相対湿度が100%であれば発生する。カビは幅広い温度エリアにわたって発生し、だいたい我々が室温と呼んでいる数値の近く、もしくはそれ以上のところで多く発生する。

温度をコントロールして害虫を防ぐ研究結果から、摂氏20℃から40℃であれば害虫は発生するが、それ以上あるいはそれ以下であれば害虫は死んでしまう。また高温よりも低温の方が害虫は死に至るスピードが遅くなる。冷蔵庫のような環境はあまり効果的ではなく、冷凍庫の環境の方が致死率は高くなる。意図的に低温に設定することで、温度コントロールはある程度役に立つ方法といえる。ただし、生物的なダメージから見れば使える方法ではあるが、相当温度を高くするか、相当低くするかのどちらかである。実際、人間が暑すぎる寒すぎるというレベルでないと害虫に対する効果はない。また、害虫によっても高温低温に幅広く対応できるものがいるため、環境におかれている時間や害虫の種類によって結果は異なってくる。

温度変動を早め、虫の代謝を促すコントロールも一つの手法かもしれない。温度が低ければ害虫の被害を防ぐことができ、虫はいずれ死んでしまう。長期に保存しているコレクション、一般的なカラー写真においても温度を低くしておけばある一定の安全性は保たれるだろう。

Lesson on '' Contained '' 包装について

カビや害虫などの有害生物から保護するための手段が包装である。何かを包装することは中に入っている物に危害が加えられないように、それを保護するということが一番重要になる。密閉され、生物が侵入しないようなものが好ましい。

包装においても、写真保存のための実験データは少ないが、食品関係の包装からヒントが得られる。実験や研究結果をみることで、菌類バクテリア、害虫の被害を回避するのにどのような素材を使えば包装材としての目的が果たせるのか、どれが効果的なのか参考になる。耐久性のある素材を選び、密閉され隙間ができない構造かどうかも重要となる。

※予稿集より抜粋

Excellent insect resistance: ポリカーボネート, ポリエステル, ポリウレタン
Good insect resistance:セルロースジアセテート.ナイロン, ポリエチレン(250μm) , ポリ塩化ビニル(硬質)
Fair insect resistance: アクリル, ポリエチレン(125μm)
Poor insect resistance: セロファン, コルゲートボード, 酢酸ビニル/ポリエチレン, クラフト ペーパー ポリエチレン(25~100μm), 可塑化ポリ塩化ビニル, サラン(PVDC系プラスチック), スパンボンドポリマー

包装用のフィルムによっては水分が通りやすい素材もある。水分が大量でなくても徐々に透過し、包装物の中身が常に中レベルの湿度に長期間晒されカビが発生してしまうことも考えられる。水分が抜けきるようなドライ・サイクルが保障される環境になっているという事を考慮する。包装材は必ずしもすべてのリスクにたいして完璧に保護できるようなものではない。それぞれの目的、性質によって異なるので、きちんとした情報を得て相応しい素材を選択する事が望まれる。

講演を聴いて

写真保存において理想とされる保存環境は低温低湿が基本とされているが、他分野からの調査結果や具体的なデータを知ることにより、カビや害虫の発生・成長の境界線、写真保存における環境条件の改めて認識することができた。また、データをみる限り害虫が発生する環境の範囲というのはかなり広いことが分かる。環境コントロールのみで抑制する事は難しく、さまざまな制御の方策を整備し、実践を支えるバランスのとれた取り組みを実行し継続することが大切であり、その活動に欠かせない着眼点を与えてくれたように思う。

講演の中で包装物の形態・材質の説明があった。生物被害という角度からみればプラスチック製包材は紙製包材に比べ有利ではあるが、やはり一長一短があるといえる。最大のマイナスポイントとしては通気性である。長期にわたって通気を遮断したプラスチック製包材や容器などで保存されていたものにはカビや変色、画像膜面が接着してしまう被害がよく見られる。このようなものの暫定的な延命措置としては、通気性のある紙や類似の素材で作られた包材や容器へシフトすることが考えられる。

また写真資料を取り巻く化学的雰囲気にも注意が必要である。写真は亜硫酸ガスや窒素酸化物、VOC、オゾンなどの汚染ガスに影響を受けやすい。画像に褪色やしみの原因になり、密閉環境であればさらに劣化を助長する事にもなりうる。

一般的な写真材料は支持体とゼラチン乳剤層からなる薄いマルチレイヤー(多層構造)で構成されており、周辺環境に影響を受けやすい脆弱性のある素材といえる。特に湿度の影響はさまざまな劣化因子に作用し画像の劣化に繋がる。写真の保存方法の規格、保存用包材の品質規格は、国際標準化機構(ISO)や国際規格に基づいた日本工業規格(JIS)が制定されているが、海外の規格をそのまま当てはめるのではなく、高温多湿である日本においての保管環境・保存雰囲気を整え、適切な包材を選ぶ-等の保管方法を考えることを奨めたい。

今回のセミナープログラムは社団法人日本写真学会のHPよりご覧いただける。また講演要旨集が購入できる。

 

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